久々に深夜まで仕事して思ったのは、猛烈に働くという点ではキャリア官僚や大手商社マンと、ワタミやすき家の店長は同じだけど、前者には暗黙の『将来の上がり目』があり、後者は一切それが無いんだよね。
激務の先にある上がり目も与えず、滅私奉公を一方的に求める事がブラックの本質なのかも。
— ボヴ (@cornwallcapital) 2015, 10月 22
現在の若年層から中堅層全般に与えられている負荷と同じですね。「脱成長」が象徴的なキャッチフレーズでもあります
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— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 22
これは以前未成年が自ら命を絶つ傾向周りで言及したかもしれないけれど、人が絶望感を抱いたりやる気を無くしてしまうのは、大よそ現状がつらく苦しいからではなく、将来に見通しが立たないからに他ならない。例え今が大変でも、その苦労が実って何らかの相応な見返り、高みが望めるのなら「今はつらくてもこれできっと」と励みになり、頑張れる。題名の例えならばお宝がゲットできる希望があるからこそ、冒険家は危険を冒してまで探索をしていくのであって、何のお宝も発見も無いけれど、危険な荒波を航海したり、未開のジャングルを歩き回るはずもない。
でもそれが無く、将来もずっと変わらない、良い目は見れない、むしろ悪化してしまいかねないとなれば、モチベーションは下がり、絶望感にさいなまれ、やる気は無くなる。ブラック云々ってのも結局はそれが大きな要因なのだろうし、社会福祉や若年層に係わる問題の多くは、いきつくところその観点が大よそ軸にある。
以前大きな問題となった「脱成長」は、典型的な「将来的な明るい見通しの無い状況での負荷要請」の事例。若年層への負担は増える、将来への種はつみとられる。自らの負荷は増えて、自分達がサポートされるような状況になっても、収穫すべき果実は種の時点で先人に食い荒らされてしまっている。これではやる気も出ないし、自堕落にもなる。そして食いつぶしている人たちが構築する仕組みへの反発も強くなる。理不尽さを覚えるのも当然というもの。
滅私奉公を望むなら、その見返りを明確化した上で約束しなきゃならない。かつては終身雇用や年功序列などがその対価的なものとして存在したけれど、昨今ではそれも望みにくい。ならば企業の場合は、相応の代替となる報酬を用意しなければ、国の施策としては確証性の高い施策を導き出さなければ、若年層は首を縦に振らないと思うのだけどな。
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