侍業の資格は包丁のようなもの、正しく使われれば多くの人に幸をもたらす。けど......

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あるいは元々構造的にこのような状況だったにも関わらず、これまでは露呈される機会が少なかっただけの話で。多方面からインターネット経由で宣言なり情報露出が成されるようになったことで、可視化が進んだだけなのかもしれないけれど。昨今、特定の技術を持ち資格を有する人達が、その資格をあらぬ方向に用いてしまう事例をよく見かけるようになった。あるいは当事者にとっては、それこそが正しい使い方だと思っているのかもしれないけれど。

けれど不特定多数から見れば、やはり少々引いてしまう。なんか違うんじゃないのと首をかしげてしまう。悪用しているっぽいねともやもや感を抱いてしまう。

弁護士資格は最たるものだけど、侍業の資格は包丁のようなもの。本来の目的である料理に使われるのならば縦横無尽に活躍し、多くの人に笑顔をもたらすことになる。勿論個々の腕前も十分に影響を与えるけどね。でもその刃先を他人に向ける、自己主張のために振り回す事になれば、結末は悲劇でしかないんだよね。

そしてどれほどまでにその道具が有益であったとしても、本来の目的以外に使われる事案が生じることで、本来の目的で使っている多数の人が迷惑をこうむってしまう。例えば包丁の例ならば、2008年の秋葉原通り魔事件でナイフが使われたことによって、その後数年間に渡り多種多様な方面でナイフに係わる規制が理不尽なまでに強化されてしまったり、報道が必要以上に煽ったことで自主規制まで強化されたことは、多くの人が認識しているはず。


要はこれ。本来の使うべき手法から踏み外し、別の目的に使うようになったら、その人はその道の専門家としてはオシマイ。肩書・技術を悪用した、単なる害悪的存在でしかない。お巡りさんが自分の考えとは別の主義を持つ人に、それを理由として発砲してしまったら、当然その行為自身が非難されるだけではなく、これまでのさまざまな取り締まり行為でも「実は自分の主義で良し悪しを判断していたのでは?」と思われてしまうことになる。

問題なのは概して、この悪用する筋の人ほど声が大きく、その害悪を大いに広めている雰囲気があること。これもまた、可視化によるところが大きいのだろうけどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年10月25日 07:12に書いた記事です。

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