大正10(1921)年 「ロシアパン」の本格的な製造発売を開始(中村屋) \でかい/ https://t.co/l33FQsU92A pic.twitter.com/Herc1tBw0i
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 25
先日の中村屋で戦前発売されていた謎のパン「マルセスキー」に関する話【結局分からぬ戦前パンの謎・「マルセスキー」って何だろう】を書き終えた後も、色々ともやもやしながらちまちま探していたところ、中村屋自身の社史みたいなページで興味深い話を確認。大正時代後期あたりからロシアパンの本格的な生産を開始したとのこと。なんだかデカくて巨大な魚を釣り上げた釣り師みたいだ。
昭和6(1931)年 ロシア人菓子職人 スタンレー・オホツキーを採用 https://t.co/sVxXBAzCXF 中村屋はロシアケーキ、ロシアチョコをはじめ、オホツキー指導のもと、多くのロシア菓子を販売します。 pic.twitter.com/wAAFeUBnRk
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 25
"ロシヤパン"、"ロシヤ菓子"の営業案内 中村屋はロシア文学に傾倒していた黒光の影響もあり、大正中頃からロシアの職人や技師を多く採用し、数多くのロシアパン・菓子を発売しました https://t.co/u65QuAqgbu pic.twitter.com/7eaAyopIdx
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 25
で、調べを進めていくうちに、中村屋では昭和6年にロシアの菓子職人スタンレー・オホツキー氏を高給で採用し、どんどんロシア系のパンを世に送り出していく。先の昭和11年頃のパンフレットにロシア系のパンが山ほどあったのも、それが影響しているっぽい。ああ、先のメニューと同じ画像だ。なんとかスキーって名前でもあるし、「マルセスキー」ってやっぱりロシアのパンなのかな。
@gnewscom ロシア語でマルセスキーМарсескийでヒットしなかったので、これは日本人が聞き取れなかった可能性があるのでは。Марсевскийマルセフスキー、 Маршевскийマルシェフスキーはヒットします。このパンの作り方を伝えた人とか。
— три снеговика (@tri_snegovika) 2015, 10月 25
早い話が、вが落ちてるんだと思うよ。次にロシア人と話すときに聞いてみよう。人名だとは思うんで。神戸のモロゾフとかあの系統じゃないかな。
— три снеговика (@tri_snegovika) 2015, 10月 25
で。こんな話もいただいた。「マルセスキー」ってのは日本語風に表記したまでの話で、マルセフスキーあるいはマルシェフスキーなる人名ではないかとの話。それなら容易に理解はできる。今でもそうだけど戦前の表記って、結構その類のざっくばらんさがあるからね。
どう見てもキッフェルのような......ただマルセスキーという言葉が謎 https://t.co/qSUNFPMGB8
— いなんず (@inanzu) 2015, 10月 25
キッフェルン ドイツやオーストリアの伝統的な焼き菓子、もしくはパン。いずれも三日月型をしており、クロワッサンと同じトルコ軍にまつわる逸話を持つ https://t.co/iaIzvwZ0M4 pic.twitter.com/hYF1B74iDj
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 25
メニューに描かれている写真は小さいけれど、先の記事ではクロワッサンっぽいと書いたけど、キッフェルンなる菓子パンがむしろそれに近いとの指摘も。確かに造形はそれっぽい。
三色パンは戦前から存在した、そして「パンの明治百年史」の無料公開を発見 https://t.co/c1DuDb3ZCZ で紹介の「パンの明治百年史」から。 pic.twitter.com/TY85A7oVEp
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 25
大正時代からロシアパンが日本に普及したのは、ロシア革命で追われた白系ロシア人が米食に慣れないのでロシアパンを焼こうとしたが日本にはその技術が無く、亡命ロシア人の職人を雇って焼くようになったり、シベリア出兵の時の従軍パン屋が帰国後にロシアパンを焼くようになったからとのこと。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 25
「パンの明治百年史」の関係しそうな時代をざっと読み直したところ、こんな表記も見つかった。日本にロシア系のパンが広まったのは、ロシア革命とその後の内戦、シベリア出兵、日本への白系ロシア人の大量亡命に伴う食の需要が元だったのね。ちょっとこれは初耳で驚き。
結局「マルセスキー」とは何なのかまでにはたどり着けなかったけど(機会があれば直接中村屋に問い合わせれば良いのかな)、色々とパンに関して楽しむことができたのには違いなく。ベーカリーコーナーを眺める目もこれまでとは変わってきそうな気がする。
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