同一版元による著作権侵害という出版史に残る事象が即日収束。著者の信念と行動が残したものは業界全体にとってプラスになるのでは。また書店外販路での「出版事業」の矜持というものも再検討される時かもしれない。>葉石かおり『一部回収へ』
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— 塩澤雄二 (@shiozawayuji) 2015, 10月 28
「作品に対する敬意がなさすぎました」これ、昨今のコンテンツ周りで生じる事案の多くに共通する点なのですよね。原作たる作品を素材、材料としか認識しないのか、それとも敬意を払い、その上で手掛けるか。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 28
詳細は別のサイトなどでいくらでも解説されているので、それ自身は省くとして。先日発生した同一版元による、半ば海賊版的な書籍の発行という、「お前は何を言ってるんだ」的な事案に際し、著者自身が解説の中で語っていた「作品に対する敬意がなさすぎました」の言葉。これこそが、今件事案だけでなく、昨今のさまざまなコンテンツ周りで発生している問題において、共通要素的な問題を表しているのではないかな、と思った次第。
対象となる原作に対し、敬意を払って尊重した上で取り扱うか。それとも単に材料、素材程度のものとしての認識で、自分で何をやっても構わないとするか。
原作からかけ離れ、監督の自我を前面に押し立てた結果、悪評を受ける映画やドラマの数々。悪質系まとめサイトやバイラルメディア。ネット上のコンテンツを無料素材としか認識しない従来メディア。質の悪化が指摘され、酷評を受ける、あるいはその盗取性が問題視されるこれらには、共通するものとして「原作への敬意が無い」ことに尽きる。
もちろん敬意を払う姿勢を見せ、態度を示し、作成に取り組むことで、原作とは異なるものとなっても、高く評価されるものも数多く登場する。「孤独のグルメ」の実写版が好例。原作そのものの質が良かっただけでなく、その良さを最大限尊重し、その上で新たな世界を生み出した。それは原作のファンにも受け入れられ、さらに新たなファンを生み出していく。
本当に簡単なことではあるのだけど、創り手側の傲慢やスケベ心が、すべてを台無しにしていく。
正しい自然淘汰を繰り返させ、良いもの、正しいものを残していくためには、良いものは良いとはっきり声に出して褒め、それを支える必要があると思う。当然、アレなものはしっかりと指摘する、あるいは「見なかったことにしよう」的な態度をするのも忘れずに。妥協したらそれを「評価された」と間違った判断をして学習し、同じことをより一層深いレベルで繰り返すことになるからね。
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