理不尽な理由で論文がリジェクトされる、と言うのは時々避けられない事ではあるけど、学生がこういう事で落ち込まないよう気を遣わないといけない。自分はわざと学生の前でレビューに対して怒ってみせるようにしている。
— yk_ga (@yk_ga) 2015, 11月 1
今回やっとアクセプトされた論文も、理不尽と思われる理由で一度リジェクトされていた。査読者はまだパブリッシュされてない論文を引き合いに出すあたり、どうやら競争相手だったようだ。こういう時には冷静さを失わないように心がけてるけど、学生の前でだけはわざと怒ってみせる。
— yk_ga (@yk_ga) 2015, 11月 1
組織論、人心把握周りの話で、人前で対象を直接怒ってはいけないというものがある。多分にさらし者にするだけで、怒る対象となった事案への反省よりも、さらしものにされたとの反発心が強くなるからだ。一方、今件のように、直接の当事対象者ではなく、第三者的なものに対して怒りをぶつけ、当事者に同意を示す手法もある。
指摘されてみればあまり難しい話ではないのだけど、配慮の仕方としてはなるほど感を覚えさせる。実際に相応のネガティブな感情を抱き、怒っていることに違いはないのだけど、それを表現しないのも一つの手。でも今件のような事例の時には、あえて当事者の前で怒ることで間接的に当事者と心境を同一としていると伝え、あるいは当事者が表に出せない想いを代わりに露呈させることで、ありがたみすら覚えるかもしれない。ああ、この人は分かってくれている、と。
自分はあまり野球見ないけど、選手が納得いかない審判の判定に監督が怒ったり抗議してくれる事は、きっと頼もしいんだろうな、と思う。指導者は時に怒りの感情を表すことで事で信頼を得られるんじゃないだろうか。
— yk_ga (@yk_ga) 2015, 11月 1
この視点で考えると、野球などで監督が抗議をしにいくのは、本当に監督本人が判定に理不尽さを覚え、判定をくつがえしてほしいとの想いの他に、人心掌握の意味合いもあるのではないかな、と。そう考えると、納得もいく。
もちろん抗議が度を過ぎて、監督自身が退場を命じられたら元も子もないけれど(笑)。
コメントする