ゲームのやりこみ要素が思考型・発想型から単純作業の繰り返しに代わったとの指摘

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傾向としてはカートリッジスタイルで家庭用ゲーム機向けゲームが発売されていた頃から少なからずあった傾向。でも最近はその辺りが顕著化してきたのかもな、という香りを覚えさせる指摘。物理メディアでの提供ソフトの場合、速攻でプレイし終えて中古屋に叩き売ることで、新品需要が削られてしまうのを防ぐため(一度クリアしないと登場しないダンジョンとかもその類)。プレイ時間をとにかく長くする必要があることから、容易に時間を拘束させる仕組みとしては、単純作業を繰り返させるのが一番楽で創りやすいからに他ならない。ただ、アプリゲームとなると、遊んでクリアするなり飽きてしまったら、その場で削除したり移動させればよいまでの話で、中古市場云々は関係の無い話なんだけどね。


スマホ向けアプリだとこんな事情もあるらしい。まぁ、もちろんケースバイケースで、この話がすべてってわけではないのだけど。面倒くさいことを考えるぐらいならさっくりと削除して別のゲーム。単純作業ならまあすき間時間に......ということ。パソコンや家庭用ゲーム機のソフトの場合は、ある程度の長時間、腰を据えて遊ぶ状況が多いけれど、スマホではそういうわけにもいかない。遊びのスタイルが異なる、細切れ時間での、あまり集中した上での遊びでは無く息抜き程度の遊びであることが多いスマホのゲームだからこそ、一層「あまり考える要素が多いと飽きられる」「単純作業ならば嫌われない(好まれる、ではない)」の傾向が強くなる、と。

スマホでのアプリ、という特性以外で考えるとすれば。情報の共有化がネット上で容易になったことによって、「探し出す」「発見する」要素がほぼ「検索できるか否か」に集約されてしまったので、検索しても手が出せない実要素となる「作業」部分にゲームの要素が集約されるようになってしまった、ということなのかなあ、と。


イベント用の宝箱の地図が、その地図を見つけ出して謎を解く部分も面白みの一つだったのに、その答えが容易に共有化されるようになったので、実際に宝箱を掘り出すまでの深さが思いっきり深くなった、そんな感じ。元々ゲームはコミュニケーションツール、素材としての一手段との見方もあったのだけど(学校における「昨日あのテレビ観た?」と同じ)、その要素がさらに強くなった雰囲気もある。

謎解きやサプライズ的なイベントそのものが、他人とのコミュニケーションのための素材だったり。皆がやってるゲームの方が情報が入手しやすい、が、いつの間にか皆がやってるゲームの方が話題に溶け込みやすいので魅力的、のような。目的と手段が入れ替わってしまっている。だからこそある意味で、ソーシャルメディア内にゲームを盛り込むってのは、方法論としては極めて正しい手法に違いない。口コミツールがはじめから連動しているようなものだから。

思い返してみれば、「思考型・発想型から単純作業」への動きが顕著化しているのは、やはりスマホ系アプリであり、パソコンや家庭用ゲーム機向けソフトでは、そこまで極端な話ではない。見方を変えれば収益性や制作上のハードルなどから、今後もスマホ系アプリへの傾注は続くだろうから、ゲーム全体の雰囲気としても、この「思考型・発想型から単純作業」化が進んでいくのかもしれない。

まぁ、数年前に「考えるのが面倒くさい、やりたくない」「選択するのすら面倒くさい」的な話が半分冗談半分本音的な感じで語られていたこともあったけれど、その類のがさらに増えてくるのかなあ、と。それって単なる読書と同じだよね。そうか、究極のデジタルゲームは電子書籍スタイルのゲームブックなんだ、みたいな。

......あながち間違っていないのかも。

※追加。言葉足らずとの指摘があったので。

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このページは、不破雷蔵が2015年11月 3日 07:34に書いた記事です。

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