今日は朝からチビ5歳がある出来事に対して「◯◯くんだけズルい」と怒っていた。それは本当に"◯◯君が"ズルいのだろうか、それとも"チビが"羨ましいのだろうか。その2つは違うことだよ、と答えたら、しばらくして「うらやましいとおもう」と言った。うん、羨ましいよなあ、と言ったら笑った。
— ぼのきち (@bono_kichi) 2015, 11月 7
ちなみに◯◯君はお父さんの仕事で通常入れない施設を見学できるというお話でした。彼は別に何にもズルくないし、まあ、我々もどっか面白い所を開拓しに行こうぜ、ということになりました。今日は仕事入っちゃったので明日の約束。
— ぼのきち (@bono_kichi) 2015, 11月 7
@bono_kichi これ、うちが幼少の頃お婆ちゃんに指摘されたことと同じで、大人になっても気をつけてる事項のひとつです!
— コIsャana @「あべでャす」 (@IsanaAtABEDEATH) 2015, 11月 7
大人になっても、その言葉自身を直接使うことはあまり無いけれど、他人の所業を指して「ズルい」的な発想を抱いたり指摘することは良くあるし、見かけることもある。そもそも「ずるい」ってのは得をするための正当でないやり方、違法では無いことも多いけれどインチキな手法で、語り手よりも何らかの便益を得た状況を指す。自分のおやつと弟のおやつを比較して、弟の方が大きいように見えたら、「自分のより大きい、ズルい」的な感じ。
よく考えてみると、「ズルい」はその対象となる人が何らかの不正・不当な行為をした結果として、不平等が生じているように認識してしまう状況。一方で「うらやましい」は同じく不平等感を覚える状況を感じているけれど、対象となる人が何かやましいことをしたわけではない。
でもそれを認めてしまうと、自分が不当な意見をしていることになるので、それをごまかすために「うらやましい」ではなく「ズルい」と語ってしまう。子供の時にはそこまで考えた上での発言では無いのだろうけど、無意識のうちにそのような判断が働いている。
大人でも多いよね。「うらやましい」と口にすると自分を卑下した感じになるので、相手の立ち位置を下げる「ズルい」とすり替えてしまうのって。
@IsanaAtABEDEATH うん、「ズルい!」は理屈を超えた強い感情なので、これを脱する思考のクセは子どもの時に意識するのがいいと私も思います。ナイスおばあちゃん。
— ぼのきち (@bono_kichi) 2015, 11月 7
@nobee8 大人になるとあらゆる理屈をくっつけて「自分の問題ではなく相手がズルい(=不正)のだ」と思い込めるスキルが身についちゃうので、線引きが難しいですよね。私自身もそうですが。
— ぼのきち (@bono_kichi) 2015, 11月 7
指摘の通りこの類のすり替えは、自分自身を納得させる処世術というか方法論としてはごく普通に存在するものなので、一度くせがついてしまうとなかなか除くのが難しい。まぁ、まずは「ズルい」と思ったら、それが本当に相手の不正・不当行為によるものなのか否かを考えるクセをつけるところから始めるのが良いのかなあ、と思ったりする。
コメントする