「あまり使われていないから不必要」は正しいのか...図書館の必要性と稼働率の問題

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CCCによる「図書館的」施設に絡んだ、図書館そのものの定義の再確認を求められるような事案。これって構造的には、財務省の行動様式と同じ方向性の香りがするんだよね。本来の目的、立ち位置、最終目的がどこかへ吹き飛んでいて、目の前にある狭義的な、自分自身のためだけの理念が最優先課題になっている。例えるなら、数日間に渡るキャンプである特定日のみの夕飯担当者が、自分の担当の際に満足してもらう料理を作るために、残りの材料全てを使い切ってしまうようなもの。

図書館や公立病院にしても、その稼働率が存在意義を決定づけるわけでは無い。まず存在自身が意義のあるものとなる。そこにあること、そこに必要なものが収められていること。これ自身が内包されているものや周囲に対する無形の影響力を及ぼすことになる。砲艦外交みたいなもの、「シムシティ」における公共施設設置で生じる影響エリア、さらにはホンモノの交番と同じ。公衆トイレでもいい。

稼働率が高いほど有益、低いほどダメってのは、多分に商用施設の話。採算性が重要視されるからね。

図書館ってのは知のデータベースでもある。書籍などを記憶媒体とした。その存続の是非をある特定期間の利用率だけで判断するのなら、ほぼすべてのデータベースの価値は無いものと判断されてしまう。そんなの変だよね。

検索エンジンにおいて、検索結果の2ページ目、11位以降のデータは存在する必要が無いから削除しても構わない。そのような世界を望む人はどれだけいるのだろうか。

まぁ、この辺は当方自身も図書館は好きであるし、概念的に公共施設の「存在すること自身に意味がある」ってのを十分に認識しているし、その上、「あまり利用されていないから存在価値が無いので廃止」を、2009年秋からの3年半程で、公的なデータなり統計で思いっきりやらかした人たちが居たのに遭遇して実害を受けた経験があるので、色々と考えてしまう。

某官庁の担当部局の担当に直接電話で連絡して確認を取り、「利用者が少ないので存在価値が無いから終了」と判断されましたと聞いた時の絶望感は、恐らく一生忘れることは無いだろうな。それ、データ系や調査系、ましてや公的機関における行動の判断としては最悪の手でしかないんだよね。まったく......。

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このページは、不破雷蔵が2015年11月16日 08:01に書いた記事です。

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