オタクが趣味を隠すのは、バレると『全うな遊びを知らないからだ、更正させてやる。キャバクラ、パチンコ、ゴルフ、海外旅行等が普通の楽しみだ』って好意で無理矢理改宗させようとして来るから。興味ないし断るのもめんどいので隠れキリシタンにならざるを得ない
— だいず:DDRer&いかタッグ呼んでちょ (@daizu1977) 2015, 11月 21
この類の話は万能論的なものは無くて、あくまでも「よくある」「そのケースが多い」的にとどまり、当然そうでない場合も少なからずある、ということが前提になるよ、という前書きをした上で。
いわゆる「オタク」っぽいとイメージされがちな趣味を有している人たちは、往々にしてその趣味を持つことを第三者に公知することを控えてしまう。なぜならそのような類の趣味を持つのは異宗派的な存在として、世間から見られてしまう可能性があり、指摘のような「改宗」を強要されてしまうかもしれないからだ。「世間一般では」「常識では」とのプレッシャーを武器にして、思う存分正当な主張との名の下にしごかれてしまう。「普通」って何だろう、的な。
見方を変えれば、世間一般には認識されないカテゴリの趣味趣向こそが「オタク」的なものであり、それが一般化したらそれはすでに「オタク」ではないとする考えもある。今なら「妖怪ウォッチ」とかかな。もちろん、先鋭化したり、従来のターゲットとは異なる人が手にしていたら、それもやはりオタク扱いを受ける可能性は否定しないけれど。
それにしても「隠れキリシタン」との表現は言い得て妙。ああ、先行記事のゲームの音楽も結局それなんだな。多くの人に認知されていない、理解されていないものは「オタク」のレッテルを貼ることで、とりあえず蔑む対象と認定できる。
......まぁ、当方も色々と「貼られる」側の趣味を持っていた・持っているから、それなりに理解はできる次第。切り口を変えれば「オタクと言うのは結構だけれど、こちらは『専門家』『一家言を持つ存在』と自負してますので」と言い返したり、「その『オタク』って肯定的な意味ですか、それとも否定的な意味合いですか」と切り返すこともできる。そんな手立てを覚えると、結構気は楽になる。
ちなみに私の趣味は職場では『ゲーセンのダンレボで運動、あと料理』と理解されてるらしくなんか納得されてる。家庭用ゲームやスキルトイよりDDRはウケが良い気がします。
— だいず:DDRer&いかタッグ呼んでちょ (@daizu1977) 2015, 11月 21
一方で、これもまたよくある話、というか現実。音楽系のゲームは結構幅が広いし、披露する機会も多々あるし、第一プレイスタイルがカッコイイ。技術が上の人のプレイは、まるでプロスポーツの縁起のようですらある。フィギュアスケートみたいな感じ。第三者に披露できて、それが感心され、関心を集めるってのも、否定的な意味での「オタク」のレッテルを貼られるか否かの判断基準の一つなんだろうなあ......
......とここまで考えて。ソーシャルメディアってのはその「オタク」の否定的な面をある程度融解する役割を果たしつつあるかもしれないと思った。例えば模型作りって多分にオタク系のものと思われるけれど、創る行程や出来上がった造型を写真に撮って掲載すると、多くの人から賛美され、評論され、話題に登る。もちろん絵もしかり。そのような認識があると、もちろん自身の自信につながるけれど、社会的認識も広まり、否定的な扱いをされにくくなる。まぁ、もちろん内容そのもののハードルが高いものは、そう上手くいかないこともあるけれど。
趣味趣向が多様化し、情報の散布手法も変わりつつある昨今。世間一般における「オタク」の言葉も少しずつ変化しているのかもしれない。
「ネットをしているのは少数だから、世間はあまり関係ない」とかいう人もいるかもしれないけど、スマホの普及率を考えると、そうも言ってられないと思うよ。シニア層ですらも、ね。なんなら披露するのは盆栽の写真だっていいんだよ?
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