テレビの洋画放送や「まんが日本昔ばなし」や「世界名作劇場」は物語のテンプレを創り上げる大切な教材だったとする話

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当時は映像系、そして距離を隔てた場所で生成されたエンタテインメントを楽しむ機会があまり無かった、数も少なかったのも要因ではあるけれど、この指摘にはどきりとさせられた。テレビの洋画放送や「まんが日本昔ばなし」や「世界名作劇場」、そして加えるならば数々の時代劇。以前は繰り返し再放送で流されていた番組。某地域の「じゃりんこチエ」や「キテレツ大百科」みたいなもの。それぞれ単独で大きな要素とはなり得ないけれど、これらの番組のリピート放送によって、物語のテンプレート的なものを学ぶ(知らぬ間に刻まれている)機会があったのが、無くなりつつある。その代替となるもの、何があるだろうかと思い返してみると......まぁ、あまり無い。

すでにそれらの番組を知っている人には「マンネリだ、つまらない」として避けられる傾向も少なからずあるけれど、それは知っているから、頭にテンプレとして構築されているからの話であり、それができていない人には何か面白いもののように、興味関心の対象に映る。小学生の教科書を読んで大人が「こんな簡単なものは面白くない」として、その小学生から教科書を取り上げるだろうか。


もちろん肯定的な意味で、だけど「偉大なるマンネリズム」ってのがあると思うんだな。テンプレ化でもいい。四コマ漫画なら起承転結。以前紹介した「神話の法則 夢を語る技術」や「みんなのイラスト教室」で掲載されているようなお話。テンプレだからこそ継承しないと途絶えてしまう。データの継承において、メディアが変われば新メディアにコンバートしないと、情報そのものは永久でも系譜が途切れてしまう、先日【記録、情報の保全の難しさとメディアの特性と、そして手元の「資料」と】で語った話と本質的には同じかな。

「偉大なるマンネリズム」でそれを否定する人が誤解しがちなのは、「あなたは過去の事例を沢山知っているからそれをマンネリだと指摘するけれど、知らない人、経験の無い人にとっては初めての体験・遭遇なのですよ」ということ。ネット上の「暗黙の了解」では良くある錯誤。


これと構造的には同じ。あるいは親が子供をしかる時に、つい親の常識で子供の判断の善悪を見て叱ってしまうことも同じパターン。子供の知識や経験は親と同じではない。親をはじめとする周辺から経験して学び、習得してはじめてその常識や暗黙の了解、お決まりのパターンを認識することができるのだからね。


「テンプレの説明にまた時間や労力を割かないといけなくなる」ってのは大きなポイント。相手との意思疎通をする際に、言葉の意味の合致から付きあわせしなければならないのと、最初から言葉が理解しあえた上でやりとりする、それ位の違いがある。

......これらの話も結局のところ、ぱっと見では数量化が難しい、無駄っぽいように見えてはいるのだけど、中長期的な視点で見たら無駄どころかとても大切な、基盤を構築する要因だったという事例になるのかな。

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このページは、不破雷蔵が2015年11月26日 08:02に書いた記事です。

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