①八房龍之助先生の「宵闇眩燈草紙」から。実際には周辺環境も進歩している場合が多いので上手く使いこなせば数年短縮できる場合もありますが、やはり「やっぱり十年かかるもんさ」の言葉の重みの前にはチリのようなもの。 pic.twitter.com/hyi80VpU8G
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 11月 27
お部屋のお掃除を少しずつ行うに連れて、色々とたまっていた資料の再整理や再構築、廃棄や再確認などをする今日この頃。で、書籍棚から出てきたのが、八房龍之助先生の「宵闇眩燈草紙」。付せんが貼ってあるページがあり、それを見た所出てきたのがこのページで、ああと感慨深いものを覚え、ちょいと思う所を。
他人が思い悩み頭を使って努力して、到達できた領域ってのは、やはり他人が同じようなことをする場合には、同じような労力が必要になる。環境が改善されて到達できる時間がある程度圧縮可能なこともあるけれど、当人の能力が劣っていれば余計に時間はかかる。
だからこそ「利用できるものは利用して先人の済ませてくれた下ごしらえを踏み台にして、切り詰められる所はズルをしなきゃ。要領良くやらな人間の一生なんか短いもんだ」って言葉が物凄い重たさを覚えるものとなる。この「要領良く」ってのは悪く解釈されることもあるんだけど、要は世渡り上手、工夫ができるってことを意味するのかなあ、と。
必要なモノを用いたショートカットの大切さと共に、知識、情報、知恵の蓄積と保全、再利用のための整備の重要さまでをも教えてくれた、当方にとっては忘れがたいシーンに違いない。他人の下ごしらえを用いるのは当然だけど、自分自身が作ったものを再活用することで、圧縮することだって可能。あるいはこれを慣れ、上達と表現するのかもしれないけれど。
他方、今作品を描いた八房龍之助先生って、「アップルシード」「攻殻機動隊」などで知られている士郎正宗先生同様、他の世界への窓の開き方を知っていて、そこから時々足を踏み入れて見聞をこの世界にもたらす事ができる、そんな能力を持っているような魅力的作品を生み出してたんだよな。多少グロさを持つところもあるけれど、それはリアリティを底上げするための手法でしかなく。独特の世界観で、登場人物が皆、活き活きとしている。昔の活劇映画みたいな、そんな雰囲気。
最近は何を描かれているのかな......と調べてみたら、電撃大王での執筆を終えた後、スパロボの世界にいっちゃったらしい。またこの世界に戻ってきてくれると嬉しいのだけど、それも難しいかな。
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