fc2の凍結祭り見ていて思うのが
動けてる人はいいだけど、動けない人、もう技術的にムリな人
後わりと歴史的な遺産というのが消えるっていう同じことの繰り返し
— 黒枷葵@色々悩みちゅー (@kurokaseaoi) 2015, 12月 8
先日発生したブログサービスFC2のアカウント凍結祭。後程公式に謝罪があり、自動精査ツールの誤作動(!?)で本来ならば凍結(ブログの利用禁止、表示不可能状態)されるはずのないブログまでボカスカ凍結されてしまったってのが判明した次第だけど。これをきっけかに他のブログサービスへの移転を決意した人の話も結構見聞きする。今回は「やらかし」宣言と状況の復帰が成されたけれど、次はどうなるか分からない、そして今回はその可能性があることが実証実験的に示されてしまったから。
そして指摘の通り、今件のような絶望的な状況に追いやられることで、情報の継続構築や披露意地の意志が砕けてしまうって場合はゼロとはいえないし、多々あり得る。半ば惰性でやってたけど、これが良い機会だ、止めてしまおうって場合もあるかもしれない。
今件はアカウント誤凍結だったけれど、例えばブログや掲示板、ホームページのサービス終了や仕様変更(悪化)などでも、似たような「情報の断絶」の可能性は多分にある。数年前にブーム的な形で生じた、ブログサービスの終了時期においても、多数のサイトが「んじゃ、止めた」ってことで情報そのものの破棄を行ってしまっている。一部は有志によって保全されているけれど、多分はもう戻ってこない。一部はWaybackや魚拓に残されているだろうけど、そこにたどり着く情報(リンクなど)が無ければ、誰にも気が付かれずに時間のみが過ぎていく。それはまるで化石のような。
SSや画像というのはわりと思い出だったり大多数の目以外の目以外の
個人の目線とか見方というのを教えてくれる
しかし、そういうのがブログサービス側だけの都合で消えるのが
何度も在る
魚拓とかあるじゃないかというのもわかるけど、その魚拓だって
そういったサービスの一環
— 黒枷葵@色々悩みちゅー (@kurokaseaoi) 2015, 12月 8
時代時代での記録やその当時の文化を知るっていう意味では
ここ二十数年のブログやBBSといった草の根っていうのは
年々知るのが難しくなりつつあるし
正直考察やったり以外に知られてない当事者しか知りえない
話がポロりと出てくる
まあ嘘と紙一重の所もあるので難しい所もあるけど
— 黒枷葵@色々悩みちゅー (@kurokaseaoi) 2015, 12月 8
ある程度簡易なサービスというのは参入難易度を下げてくれる
初心者に厳しいといずれは誰もやらなくなるのはSSや絵だけではないし
そりゃあ、料金とかの問題もあるけど有料無料問わず一律で消えたりするのがサービスの終了であったり、凍結騒動だったりする
— 黒枷葵@色々悩みちゅー (@kurokaseaoi) 2015, 12月 8
まあそういった電子の記録といったのをまた考えないといけない
じゃないかなと
インフラを当たり前のように享受していてもそれの維持やるには
やっぱり企業とかだけでは厳しいし
既にネット系の文化系というのは一つの文化資本なんだから
文化維持にそういう団体とかがわかり易く活動してたりとか
— 黒枷葵@色々悩みちゅー (@kurokaseaoi) 2015, 12月 8
文化というのは多様性であったり、またそれ自体がその国の当時を知るのに大きな意味をもつものっていうのを考えたらというのが短く書くとそんな感じ
— 黒枷葵@色々悩みちゅー (@kurokaseaoi) 2015, 12月 8
この辺の遅れってそれこそ戦前からなんだよね
研究とかの予算が遅れてたり、人材がいなかったり
まあ今すぐに即効性があるものでもないから中々理解されないだけどね
逆に欧州とかは徹底的に潰しすぎて残ったモノを必死に保護しようとかする
日本は何だかんだで個人がこっそりと潰れずにやってる
— 黒枷葵@色々悩みちゅー (@kurokaseaoi) 2015, 12月 8
それこそ完全にいなくなったじゃないか?と思っていても
個人のゲリラ戦は得意というか
プロ以上のハイアマチュアは出てくるし、、、
— 黒枷葵@色々悩みちゅー (@kurokaseaoi) 2015, 12月 8
SSってのはショートストーリー。短編小説やその類。魚拓やらWaybackはあるけれど完璧ではないし、これも指摘の通り企業体のサービスなのでいつ何時「止めた」ってことになるかもしれない。また、連続した保全では無いので、ページからページへのつながりは分からない事も多い。
情報はあるはず、あったはずなんだけど「今の」ネット上には残っていないし、当時の関係者で無いと分からない、しかも下手をすると都合の良いように(意図的・無意識に)事実が改ざんされている可能性もある。そんな状況が結構見られるようになった。特にパソコン通信からネット黎明期前後の文化において、著しい気がする。
「インフラ」って言葉が出て来たけど、普段から当たり前のように使われている物事って、逆に保全が難しい。当たり前すぎて、しかも量が多いので、誰も気に留めないから、保全をする意義・コストパフォーマンスがゼロに等しいように思われてしまう。で、少々時間が過ぎて、それが当たり前で無くなった時、記録がほとんど喪失してしまって分からない、的なことになる。江戸時代の水道システムとかが良い例かな。一応それなりに残ってはいるようだけど。
記録化ってのは一つ一つではほとんど無価値だからねえ。仕事になりにくいし、だれもやりたがらない。でもそれが積み重なると、継続・蓄積されると、少しずつ、確実に価値を持つようになる。単行本1冊を探しただけではあまり面白くないけれど、ずらりと過去の巻を揃えて話のつながりが読めるようになると、途端に全体が面白いものとなるってのと同じ。
この辺りは公金を投入して行うべき話なんだろうな。個別で採算は取れないけれど、継続性が必要で中長期的に価値を見出すもの。そして社会文化的には必要と思われるもの。金銭的な価値、効果を見出しにくいので、公共事業としても難しいだろうけど。
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