挑戦する前に可能か・不可能かの検討をしないと、大日本帝国の二の舞になるだけだと思いますが...。 RT @hazuma ドイツの再生可能エネの取り組み...それなりに成果も出しているわけで脱原発を...先進国として挑戦した処は立派だと思うけどな。事故起こした日本が挑戦すらしないのはどうなんだ
— 山本⑧平(=山本⑦平+①知半解) (@yamamoto8hei) 2015, 11月 29
無責任な批評家って、ホント是非論だけで物事考えるから困ったものだと思う。
「是か・非か」の前に「可能か・不可能か」をキチンと検討しなかったり、「とりあえずやってみよう」とか失敗を全く想定しないのは、日本人の悪い癖だよなぁ...。
— 山本⑧平(=山本⑦平+①知半解) (@yamamoto8hei) 2015, 11月 29
この手の人って、本邦最大級のメガソーラー業者に東電が名を連ねてるの知らなかったりするよね https://t.co/KPoIB8DBeg
— 各務原 夕@冬毛 (@nekoguruma) 2015, 12月 2
電力周りに限っても、この類の「まずはやらせてみないと・やってみないと」的な話は震災後、よく見聞きしている。そしてその話には大抵欧州が、アメリカがとくるのだけど、良く調べると、その話は多分に良い所取りをしているのだよね。もしかすると、好意的な解釈として、その良い所取りをできるようにすればいいんじゃね? という考え方をしているのかもしれないけれど、大抵は「チョコレートってたくさん食べれば食べる程幸せ感を得られるけれど、その分カロリー沢山取るから太るよね」的なものだったりする。「食べてみないと分からないじゃん、美味しければいいじゃん、太るかどうかは食べてみてから考えよう」みたいな感じではある。そしてそれをキリキリッとしながら声高に掲げれば、格好よく、進歩的な意見として聞こえてしまう。
大日本帝国云々ってのは、要するにしっかりとした検証、事前の正しいシミュレーションを必要なだけ行うかいなか、そしてその結果を意思決定に活かしているか否かということ。
先日のオーサーカンファレンスのパネルディスカッションでのやり取りでもちょいと気になったのだけど、「とりあえず選択肢を出すのが大切」との意見に異議はないのだけど、その際にそれがあたかも正論であるかのような切り口で展開し、何か問題があったら「そんなの知ったこっちゃねえ」的な態度をとるための免罪符として使われてしまう感があるのだよね。今件も該当する「ご意見」に関しては、それに近しい香りを覚える。単なる選択肢を呈しているようで、その実誘導という。ああ、これって新聞社がよくやらかす、結論ありきのアンケートと同じだ。
一部言論界隈の声高な「一度やらせてみては、やってみては」に後押しされて2009年秋以降の3年半で、どれだけのやらかしをしたか。もう忘れたのだろうか、無かったことにしたいのだろうか。
それにアレだ。日本が再生可能エネルギーに取り組んでいないような表現は、それだけで失礼でしかない。加えてドイツ周りの話ではよく聞くけれど、地理的問題をまったく無視した話は、論ずる価値すらない。日本の隣にフランスは無いのだね。
斎藤一人氏に係わるエピソードでも有名だけれど、トライ&エラーそのものは大切なんだよね。でも、最初から本番でそれをやったらいけない。小規模で、エラーが出ても損失を最小限に留められる領域で行い、精度を高める・確かか否かを確認する。最初から大規模に「やってみなきゃ」は子供の所業か、あるいは山師の方便でしかない。
無論、その小規模な実証実験の前に、可能な限りの精査は必要。私財を投じたお遊びでしたらいきなり実証実験でも構わないけれど。例えば新しいレシピの開発とか、ね。
......というか、さ。一応曲がりなりにも言論人を名乗る人が、4年も経過してまだそんなことを語っているって事実を知っただけでも、ちょっと悲しみを覚えざるを得ないのだな、実際。
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