みんな子供の頃に、駅前で突然叫び出したり全裸になったりする人に遭遇したらお母さんに「見ないふりしてそっとしときなさい」って教えられてきたと思うし現実じゃ実際そうしてるはずなのに、なんでツイッターで同じ類の人を見つけると自分から拡散したり直接文句つけに行っちゃうんだよ。ほっとけよ。
— てる・ジャクソン (@tel1999) 2015, 12月 2
事案の具体的指摘は避けるけれど、ここ数日の間、色々と持ち上がっている「お騒ぎ事案」「炎上事案」の類が、結局はこの話につながるのかな、ということで。ソーシャルメディアってのは可視化のツールとして非常に有益だってのは良く知られている話ではあるけれど、見えてしまったから、気づいてしまったから、反応してしまうのが人の性(さが)であることを逆手に取り、それをビジネスなり自らの「核心的利益」や主義主張の浸透に利用......まぁ、悪用だ、を意図的、あるいは無意識のうちにやっている雰囲気がある。
その類の話は、ぶっちゃけると、それに気が付いた時点で、ばっさりと情報そのものを無かったことにし、無反応に徹するのが一番良い。まさに「見ちゃいけません」的な。
「まだ消耗してるの?」事案とか、先日の某欧州・中東問題での話を題材にした例の絵の事案とか、そして楽器のフロイト的分析事案とか、総じて「プロモーションとしての炎上手法」の香りが強い。「見なかったことにしよう」がもっとも効果的。
どのようなヒドイ手法を用いても目立ち注目され、その母数が増えれば確率論的にお客が取得できるのでOKとの手口なんだよね、要は。100万人に嫌われても5000人の有料メルマガ購読者が取得できれば良い的な感じ。ある意味、無謀な行為の写真投稿をしてでも目立ちたいとの、一連の炎上問題と似ている。ベクトル的には同じだろう。
どこぞの代理店か情報商材か、あるいはコンサルでそのような筋を勧めてるのか。それとも元々人間の本質、暗部的な所で、その手法を生み出す要素があり、ソーシャルメディアなどがそれを掘り起こしてしまっただけなのか。多分はその双方なのだろうな。
楽といえば楽なんだよね。一般報道にしても、ポジティブな話よりネガティブな話の方が、お客の食いつきは良い。確立している手法であり、その発火点を他に求めるか、自分で火をつけるかの違いぐらい。見方としては愉快犯的な、火事に集まる群衆を観て、自分自身の挙動でこれだけ人を動かしたことに満足する、そこに自分の利益を求めるタイプの放火魔。
あるいは子供、ペットの所業かな。イタズラをすると親が叱るのを、間違って「かまってくれる」とパターン認識してしまうような。今件の類では、その「間違った認識」が実益を挙げてしまうからタチが悪いのだけど。
昨今では本当に、素でのやらかしの場合と、炎上目当ての場合との区別が付きにくく、さらには双方の要素が混じっていることもあるので、区別がしにくいのは否めない。それでも「あ、これは炎上狙いだ」と分かったら、すっと距離を置いてその方向には目を向けないのが、大人として、そして正しい姿勢だと思う。
......まぁ、実害が生じて対処をしなければならないのなら、直接云々するよりは、兵糧攻め、補給線の分断をする方が、確実かつ楽ではあるかな、と。即効性はないけれど。
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