保育士不足の原因を再度資料などから確認していく

| コメント(0)


先日の【罪深きデフレ思考、保育士や介護系の話も結局はそこに行きつくのかも】の話。厚労省の規制緩和策をピコーン的に思いついたのはどこの誰だぁ的な海原某的な話はともかくとして。その記事でも「結局、保育士の資格を持っているけど保育士にならない人が結構いる一方で、保育士が足りないってのは、そもそもそこに問題があるんじゃないのか」「それってやっぱりお金の問題だよね」的なことを書き連ねたけれど。

だったら報酬を上げられるように、市場原理に従い、利用料を引き上げるしかないのでは......ということで調べてみたら、経費は目いっぱいかかる一方で、利用料を下げる必要があるという社会的認識がそれを阻んでいるという。これはアレだ。構造的な問題を、保育士の身銭を切るような感じで誤魔化している状況だ。

本当ならこの類のサービスは、儲からないのが前提ならば、というか前提だからこそ、公的サービスにするのが一番なんだけど。儲かるのなら民間に投げて良いわけだし。で、公的サービスにおいては従事者に十分な対価を与え、赤が出る部分は税金で補う、と。それこそが税金の使われ方。


で、現状の保育士不足に絡んだ報告書や公的調査結果がいくつかあるけれど。やもすると「それだけじゃない」「他にも理由は多々ある」それらの意見は多々承知した上で。やはり最大の問題は賃金が低すぎるってことなんだよね。

賃金、お金って結局多様なリソースの形が変わったものだからね。投入されるリソースが少なければまともな対応を求められても無理がある。保育は大切だから保育士のことなどどうでもよい的な考え方では、誰も保育士になろうとはしない。保育士だって人間だ、ロボットでも概念的存在でも無い。この辺り、インフラ周りに対する一部の無謀な考え方と雰囲気が似ている。


結局行き着くところはこれになるのだよね。お金が無くても貢献的精神や社会的意義があれば何とかなるってのは、前世紀の、しかも戦中でやらかして間違いだとの判定が下された考え方。戦力比で劣っていても、兵器の性能が悪くても、精神力があれば何とかなるってのと同じ。まずは物理的・経済的な充足があり、その上でプラスαとして作用しうるのが、貢献心や社会的意義。精神力だけで物事が解決するのなら、医療など必要は無くなる。ハンドパワーで十分、なんてことになってしまう。

まぁ、社会全般としての公的リソースに限界があるのも事実。で、何に重点を置くべきかってのは、短期的視野ではなく、中長期的視野で、しかも多様な関連性を考慮する必要がある。なぜ保育士が不足しているのかは、保育をお願いしなければならない世帯が多いからで、それは母子・父子世帯は別とすれば共働き世帯が増えているから。なぜ共働き世帯が増えているかといえば、社会通念の変化以外に、世帯主の所得だけでは賄いきれないパターンが増えているから。要は世帯主の収入を中長期的に上昇させるのが、結局のところ根本的な解決策の一つになるんだろうな。

無論、お金はあればある方が良い訳で。たとえ世帯主が十分な稼ぎを得ても、それでもなお共働きを望む人もいるのだろうけど。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年12月 8日 07:49に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「警察庁の「犯罪情勢」がいまだに出てこない」です。

次の記事は「漫画というコンテンツの有効活用を考えさせられる「マンガ図書館Z」」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30