表現の領域と相手に伝えることのむずかしさと

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今件では例としてお肉の美味しさについて挙げられているけれど、これは特定食材の味覚に対する評価に限らず、あらゆる方面でも言えるお話。似たような話では、数字の概念が中途半端なところにおいて、「ひとつ、ふたつ、みっつ、たくさん、たくさん......」と数えるようなもの。

要は、今件ならば味そのものは多分に他人と同じように感じているのだけど、それを具体的に表現する方法、手段が手持ちに無く、単純な仕切り分けになってしまうというもの。実際にはこの「うめえ、最高!」の中にグラデーション的な表記で「なんか最高中の最高」「最高なんだけどちょっと軸がずれてるかな」「今までに食べた中では例のアレに近い、忘れがたき旨味を覚えさせるもの」的な多種多様の領域がもやもやしながら存在しているのだけど、それの仕切り分けが出来ない感じ。要は自分の感じた想いを上手く体現化するだけの知識や経験を手駒として持っておらず、すべて単純な判断として出力してしまう。

どのような表現をしようとも、自分が経験した事象そのものに変わりはない(今件事例ならば「おいしいお肉を食べた」)のだから、当事者自身にはあまり関係の無い話、との割り切り方もあるのだけど、その想いを第三者に伝えることでコミュニケーションの強化がはかれたり、似たような事例を繰り返してもらえる可能性が高まる、正しい自分の想いを相手に理解してもらえる利点などを考慮すると、やっぱり経験を重ねたり表現力を豊かにしたり、勉強を重ねてグラデーション部分をしっかりと仕切り分けできるような能力って、必要なんだよなあ、と思えてくる。

まぁ、ツイートの大本ではそのような話では無く、単にお肉の良し悪しについての意味だったようだけど、当方はこんな思いを抱いたので、覚え書きとして。そしてお肉大好き。

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このページは、不破雷蔵が2015年12月15日 07:25に書いた記事です。

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