料理の知識・ノウハウは珠玉の技術に違いなく

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先日の厚労省の調査がトリガーになって生じた、食生活や調理にからんだ話。もう少し大雑把な表現をすれば、生活の知恵とかおばあちゃんの知恵袋とでも評すべきだし、その内容の多くは実のところ小中学校の家庭科の教科書で収得できるので教科書は捨てちゃダメ的な話は以前した記憶もあるのだけど。

この類の、経験などで収得して知っている人ならば「知っていて当たり前」のノウハウの類って、自分で気が付くまで、あるいは教えてもらうまで、分からないことが多い......って技術や技能って大よそそうだよね。そして、それを知らない状態においては、存在自身も分からないから、探す、確かめるという行動もできない。トライ&エラーで道筋を探すってのは不可能ではないけれど、それこそ多量のリソースを必要とする。

だからこそまさに、先日【「先人の下ごしらえを活用することはとても大切」と八房龍之助先生のお話】でも触れたように、他人のノウハウをおいしくいただいて自分に役立てるという手法を身に付けるのは大切なお話。


時間やコストの短縮には多種多様な方法論があるけれど、分からない人はホント分からない。よく漫画でテスト勉強の際に「分からない場所が分からない」というネタ的な話はあるけれど、実のところあれは嘘でも何でもなく、さまざまなケースで起きうる話。分からない場所が分かっているのなら、それはかなり状況が良い方向にある印。ほら、病気だって最初はどの部分が悪いのか、何が原因なのか、分からないから診察を受けて、病症などを特定するところから始めるよね(ケガとかならともかく)。

だから仮に、今件のような「可処分所得の問題で食生活にあまりコストをかけられない。けど野菜は摂取したい」という問題に対応するのであれば、低コスト、そして状況的に短時間で可能な手法を考え、技術として浸透させるのが、本当の意味での問題解消のための動きに違いなく。

まぁ、それだとあまり見栄えもしないし、受けもよくないのだろうけど。


これはちょいと筋が外れるけど、当方には近しい問題に見えたので、合わせて。結局、食生活上の工夫にしても、自分が知っている(、そして他の人も知っている人は多分に居るであろう)ノウハウも、魔法とか手品の類では無く、経験や情報によって成されたものでしかない。その仕組みを知ればありきたりのものだけど、知らないとそれは秘伝となってしまう。手品と同じだよね。タネを知らないと魔法に見えるけど、タネを知れば既存の技術の組合せで再構築は可能。ただし使いこなし方には細かいノウハウや経験則などが盛り込まれることになるので、まったく同じように出来るわけでは無い。


「実践できぬ知識も伝達できぬノウハウも『技術』とは呼べぬ」。まさにこれ。低コスト・短時間で充実できそうな食生活においても、対象となる環境で再現できるように、伝達がなされるものでない限りは、技術にはならない。

インターネットが浸透して情報の公開のハードルが随分と低くなり、この類の技術も相当にあるはずなんだけど、なかなか目に留まらないのだよなあ。いや、時折見かけるのだけど、すぐに埋もれてしまう。やっぱり地味だからなんだろうな。何らかの形で分かりやすい、そして派手ではないけれど目に留まるような形にする必要があるのだろう。最近ちょっと流行っている雰囲気がある、自前でシンプルな料理を作る漫画ってのは、良い所をついている感はあるけれどね。

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このページは、不破雷蔵が2015年12月21日 07:15に書いた記事です。

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