料理道具等の初期投資は分散すればどうにかなるだろうってのはさっき呟いたけど、野菜を買ってそれをどんな料理にして飽きずに食べるかってのは知識の蓄積だから、それは時間がないと出来ないよね。特に野菜なんて肉や魚と違ってメインになり難い食材だし。
— たかぴっぴ (@silver1031) 2015, 12月 14
先日の厚労省の調査がトリガーになって生じた、食生活や調理にからんだ話。もう少し大雑把な表現をすれば、生活の知恵とかおばあちゃんの知恵袋とでも評すべきだし、その内容の多くは実のところ小中学校の家庭科の教科書で収得できるので教科書は捨てちゃダメ的な話は以前した記憶もあるのだけど。
この類の、経験などで収得して知っている人ならば「知っていて当たり前」のノウハウの類って、自分で気が付くまで、あるいは教えてもらうまで、分からないことが多い......って技術や技能って大よそそうだよね。そして、それを知らない状態においては、存在自身も分からないから、探す、確かめるという行動もできない。トライ&エラーで道筋を探すってのは不可能ではないけれど、それこそ多量のリソースを必要とする。
だからこそまさに、先日【「先人の下ごしらえを活用することはとても大切」と八房龍之助先生のお話】でも触れたように、他人のノウハウをおいしくいただいて自分に役立てるという手法を身に付けるのは大切なお話。
因果関係を逆転させてる上に、道具や時間のコストをすっかり忘れてる時点で「評論家失格」。
彼女があげてる時間短縮の道具、お高い器具の名前が並んでます。:勝間和代「なぜ野菜を食べない家は貧乏なのか?」 https://t.co/bBiFzWNEUE
— KGN (@KGN_works) 2015, 12月 14
1個70セントの缶詰だって、調理するための知識・時間がないとどうにもならんのだよ...
「野菜を食べない貧乏人」じゃなくて「貧乏だから野菜に手を出せない」だと。
— KGN (@KGN_works) 2015, 12月 14
https://t.co/DzeDlyP5Ud
スチームオーブンなくてもスチーム調理ケースなら100均にあるし、圧力鍋も野菜柔らかくする程度ならジップロックと普通の鍋でもそこそこいける。調理道具高い!と叩くだけじゃなく誰の意見でも使える物は取り込んで応用する力こそ必要だと思う。
— fugahogemoge (@taruki) 2015, 12月 15
それ提案すべき人が寝言いってるのが問題なんですよ。 https://t.co/cBWvE4lbPG
— KGN (@KGN_works) 2015, 12月 15
「安上がりにお野菜を食べるには」
「100均の道具で作る健康料理」
マスコミに出る人がこれ言わないんじゃねえ...彼らの存在価値は一体どこに。
先に書いた通り、「調理の知識と時間がなければ、安い材料も生かされない」んですよね。
— KGN (@KGN_works) 2015, 12月 15
調理方法に関する知識って、資産なんですよ。
それまでの人生でそれなりの経験を蓄積して得られたもの。
無からは湧かない。
— KGN (@KGN_works) 2015, 12月 15
時間やコストの短縮には多種多様な方法論があるけれど、分からない人はホント分からない。よく漫画でテスト勉強の際に「分からない場所が分からない」というネタ的な話はあるけれど、実のところあれは嘘でも何でもなく、さまざまなケースで起きうる話。分からない場所が分かっているのなら、それはかなり状況が良い方向にある印。ほら、病気だって最初はどの部分が悪いのか、何が原因なのか、分からないから診察を受けて、病症などを特定するところから始めるよね(ケガとかならともかく)。
だから仮に、今件のような「可処分所得の問題で食生活にあまりコストをかけられない。けど野菜は摂取したい」という問題に対応するのであれば、低コスト、そして状況的に短時間で可能な手法を考え、技術として浸透させるのが、本当の意味での問題解消のための動きに違いなく。
まぁ、それだとあまり見栄えもしないし、受けもよくないのだろうけど。
神秘的に見える技も、実際は合理的。原理がわかれば再現できちゃうから秘伝なのであって、そこの逆説に気付かんと。逆に公開された秘伝てのは、使いこなしには個人の才能差があるので、多くの人間に公開して才能ある人間に継承してもらう必要がある技術ってこと。誰でも使えるが差があるが技術。
— 喜多野土竜(心機二転三転) (@mogura2001) 2015, 12月 15
これはちょいと筋が外れるけど、当方には近しい問題に見えたので、合わせて。結局、食生活上の工夫にしても、自分が知っている(、そして他の人も知っている人は多分に居るであろう)ノウハウも、魔法とか手品の類では無く、経験や情報によって成されたものでしかない。その仕組みを知ればありきたりのものだけど、知らないとそれは秘伝となってしまう。手品と同じだよね。タネを知らないと魔法に見えるけど、タネを知れば既存の技術の組合せで再構築は可能。ただし使いこなし方には細かいノウハウや経験則などが盛り込まれることになるので、まったく同じように出来るわけでは無い。
「エクセル・サーガ」での蒲腐博士のセリフ。「実践できぬ知識も伝達できぬノウハウも『技術』とは呼べぬ」。16巻より。ずしりと重い。 pic.twitter.com/OnQ9hItmz7
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 12月 17
「実践できぬ知識も伝達できぬノウハウも『技術』とは呼べぬ」。まさにこれ。低コスト・短時間で充実できそうな食生活においても、対象となる環境で再現できるように、伝達がなされるものでない限りは、技術にはならない。
インターネットが浸透して情報の公開のハードルが随分と低くなり、この類の技術も相当にあるはずなんだけど、なかなか目に留まらないのだよなあ。いや、時折見かけるのだけど、すぐに埋もれてしまう。やっぱり地味だからなんだろうな。何らかの形で分かりやすい、そして派手ではないけれど目に留まるような形にする必要があるのだろう。最近ちょっと流行っている雰囲気がある、自前でシンプルな料理を作る漫画ってのは、良い所をついている感はあるけれどね。
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