作り手は見終わったテレビを消す感覚で作品やサイト消しますけど読み手的には毎日礼拝に訪れてた神殿が朝行ったら更地になってたくらいの衝撃あります
— 初田ちゃん (@hzm4423) 2015, 12月 20
制作物は概して自然に降ってわいてくるわけではないので、創り手側の事情によって突然更新が途絶えたり、消滅してしまうことがある。ウェブサイトやブログもその法則に逆らうことはできず、ある日突然アクセスが不可能になったり、更新がなくなったりする。更新が止まるだけならまだ来訪を続けて「更新まだかな」とドキワク感を得ることは可能だけど(でもそれが数か月も続くとあきらめが出てくる)、ある日突然アクセスができなくなると、ショックは大きい。それはまさに指摘の通り、毎日足を運んでいた神殿が、いつの間にか更地になっていたような。
作り手側からすれば、単にサーバーの契約を解除したり、コンテンツファイルをすべてデリートするぐらいの心境でしかないのだろうけど、来訪者にとってはショックは大きいよね。確実に自分の時間を共有していた存在が、ある日からぱったりとその存在を無くしてしまう。ペットロスに近いケースともいえるかもしれない。
でもこの「心の中の空白」「更地的衝撃」って、ウェブサイトに限らない。ペットは好例だけど、足しげく通っていたお店とか、長年遊んでいたゲームとか、長期連載をして愛読していた漫画や物語とか。形は違うけれどそれらは皆、一人一人の日常生活の中に組み込まれ、時間を共有していた存在に違いなく。
あるいはゲームの中でも似たようなケースはある。何度か足を運んでいた街が、シナリオの進展と共に廃墟と化していたり、それすらも無く、わずかな形跡と周囲の人の「そういう話もあったような」ぐらいのかすかな記録しかなくなっていた時の絶望感。物語の中だけの話ではあるのだけど、やっはり衝撃は受けてしまう。おとぎ話の浦島太郎も似たような心境を抱いたのだろうか。
作品(恐らくは絵とか小説かな)にしてもサイトにしても、維持費の問題とか版権絡みもあるのだろうけど、たとえ更新する気力が無くなったとしても、できればそのまま残しておいてほしいなあ......と思うのは当方だけだろうか。まぁ、そんな需要のためのインターネットアーカイブなんだろうけどさ。
それに、ウェブにしてもブログにしても、さらにはゲームでも大よそは突然消えるのではなく、何らかの気配や前兆があるのだけどね。
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