相談の件でもう1つ。ある女性が夫のDVで悩んで役所のDV相談に行った 。担当者はDVからの脱出とその後の生活で使える行政のメニューを列挙して説明し「このメニュー今使えますがどれか今使いますか?」という意味のことを聞いてくる。決心がつかずそのまま帰る。これを数回繰り返したそうです→
— sanaharano (@sanaharano) 2015, 12月 27
頼りになるんだかならないんだか、つかみどころがない感じだったと。ある時、夫がひときわ酷い暴れ方をし、直後にまた相談窓口に行って「脱出するから助けて」と言ったそうです。この言葉が鍵なんです。担当者「分かりました!」と言うや敏速に脱出手段・避難先・生活費などを手配し、→
— sanaharano (@sanaharano) 2015, 12月 27
あっと言う間に子供と共に避難完了。
行政は利用者の意思を勝手に忖度して動くことはできません。逃げた方が良いと強く思われる場合でどんなに使える手段を持っていても、本人が「逃げると決めた」と伝えてくるまで動いてはいけない。→
— sanaharano (@sanaharano) 2015, 12月 27
その代わり、条件が揃っていて意思も確認できてれば、原則として動かなければならない。
他の相談ごとでも基本は同じ。自分で動いて経過報告し、きちんと意思を伝えることで、行政は行政として動くポイントが見えてくる。
こういうコミュ能力も生きていくのに必要だと思います。
— sanaharano (@sanaharano) 2015, 12月 27
これは一通り読み終えたあと、「なるほどなあ」と納得&感心させられた話。語られている内容の主軸そのものに補足する必要は無く、そういえば似たようなケースって結構あるよねえ、という想いが去来する。
公的機関の多分は、柔軟性のある挙動が極力控えられる。言葉は悪いけれど「融通が利かない」。理不尽さを覚える部分もあるのだけど、これは最大多数の最大幸福の観点で考えると、当然の話。何か特殊なケースを現場担当などの自己判断、融通で決定してしまうと、その抜け道的なところへ次々と同じ便益を求める人が出てきて、拡大解釈がなされ、世の中が混乱する。また、その現場担当の権限が巨大なものとなり、行政活動がゆがんでしまう。
そのような混乱を避けるために、法の抜け穴的な部分が少しずつ埋められていき、法体制が出来上がる。融通が利かないとの苦情は当事者の身勝手による部分も少なからずあるし、概してそのような身勝手さによる秩序の乱れを防ぐために、細かい法が創られ、行政はそれに従うようになる。
例えるならば行政はお湯を保存する魔法瓶やパンを焼くトースターではあるけれど、多種多様な調理ができる電子レンジでは無いということ。
見方を変えれば、行政がどのような方向性で動くのか、エンジンがかかる仕組みとなっているのかを知れば、十分なコントロールが可能となる。今件もまさに、エンジンスタートの号令が「逃げると決めた」との意思決定の表明だったわけだ。「コミュニケーション能力」と指摘では表記しているけれど、むしろ「行政の動き方、動かし方のノウハウ」の方が正しいかもしれない。
先日の厚労省の「平成26年国民健康・栄養調査結果の概要」でのマスコミへの非公式な「低所得世帯ほど野菜摂取量が少ない、主食に偏りがち」に関する感想もそう。権限を越えた話はできないし、公式なものとして出すことはできない。それにも関わらず、あそこまで妙な反応が出たのは、お役所ならばどの部局でも、自由自在にオールマイティな見解ができると思っているからなのだろうな、と。実際にはそうじゃないのだけどね。
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