「要約」と「整理」と「裏付け」と「解説」はあっていいと思うんだけど、「記者の結論」を先頭に立たせたらそれはもうジャーナリズムじゃなくてアジテーションだからねえ。
QT @Rogue_Monk: いい加減に
ジャーナリストとは、右の情報を左に動かすだけの仕事
と理解して欲し
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 1月 30
先日の【正式発表前にマイナス金利の話を漏らして「報道」し、ドヤ顔されても困るのですが】に連なるお話。ジャーナリストに求められているものって何だろうか、本来なんだったのだろうか的な話を一つの切り口としてまとめたらこんな感じになったよ、というもの。以前から何度か触れている、プレスとオピニオンがごちゃごちゃになったらいけない、プレスはプレス、オピニオンはオピニオンでちゃんと分けねばならないし(そうでないと、記者側の意見を事実として視聴者が受け取ってしまう。記者としてはその方が便益は多いし、むしろそれを求めている界隈もあるのだけど)、その上でジャーナリストは多分にその前者、プレスである必要がというもの。後者の場合はその旨を明記しなきゃならない。論説委員がニュースキャスターのように、事実報道を語るかのように自論を述べていたのでは、まったくもってお話にならないということ。
ジャーナリストは「事実を伝える」のが一義的な立場にある職種のはずなんだけど、その「事実」の中に、語り手や所属機関における思惑がフィルタリングされてしまい、「真実を伝える」になっている気がする。事実は一つしかないけれど、真実は人の数だけ存在する。例のアレだ。
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