"【悲報】最近の学生、電話をガチャンと切ったのガチャンが何かわからない" https://t.co/Kmk6OMEWuC
— YK (@aprilone_78) 2015, 12月 30
戦前の小説だと家の中にいるにもかかわらず「電話室に入った」という描写が出てくるが、最近の学生はどんな風に理解するのやら。ちなみに当時の電話機は壁掛け式で、周囲の音を遮るためにわざわざ小部屋を設けてそこに据え付けることが多かった。 https://t.co/p2Usg4MmDa うっかり「テレビのチャンネルを回せ」などと言おうものなら、リモコンをぐるぐる振り回されたりして。 https://t.co/htiyveVcy4 同じ日本語なのに「電話をガチャンと切る」「チャンネルを回す」といったほんの数十年前の文が若い世代には理解できない。言葉だけ知っていれば文章が読めるのではなく、その背景にある文化への理解が不可欠だという良い例だろう。まして古典や外国語ならなおさらだ。 で、その電話室や以前紹介したテレビのチャンネルなども合わせ、文章が指し示す本当の意味、状況を把握するのには、単に読めるだけでなく、背景や文化まで理解しなければならない。これは大いに納得できる。 見方を変えればほんの数十年、下手をすると十年程度の昔でも、海外や古典に係わる精査と同じように、文章に描かれている内容を把握しにくくなっているということでもある。多様な形で、多方面の切り口による情報の保全が必要なのだなあ、と改めて思い知らされる話には違いない。
先日もタモリ倶楽部でソノシート(極めて薄いレコード盤(音声再生用のメディア。レコードプレイヤーで再生すると、記録してある音楽などが聴ける)で、かつてはその薄さを活用し雑誌の付録などにも用いられた)が映し出された時に、字幕スーパーには「そのシート」と表示され、恐らく字幕を作った人はソノシートの存在自身を知らなかったのだろうな、的な話があったのを思い出しながら(
......となると、文章を単に解読できたとしても、当時の文化や社会風俗まで把握できていないと、意味が良くわからないことになる。今件の「電話室」も説明されればナルホド感。要は家の中にある公衆電話ボックスみたいなもの。あるいは、ホテルなどでは今でも一部で見受けられる、ちょいとした凹み、トイレの入り口みたいな小部屋的空間が用意されており、そこに電話があるような場所。それほど当時の電話は性能的に今一つだったということになる。古いお役所などだと、いまだにあるかもね。
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