Amazonなどネットのレビューは、点数が低くても、その文章を見ると嫉妬や劣等感が垣間見える事も多い。点数だけで判断せずに、文章でそれを見極めつつ、参考になる感想を拾っていくリテラシーが必要となってくる。と、買おうかどうしようか、調べてた本の感想を検索してて感じた次第。
— karzusp (@karzusp) 2015, 12月 27
アマゾンで商品の選択や購入をしようとする際には、そのジャンルや代表的な種類名を検索キーワードにした上で、少しずつ条件を加えて絞り込み、最後は評価の高い順にソートをして上から順番にチェックを入れていくことが多い。単なる価格や仕様による振り分けに加え、実利用者の感想で、販売側が語らなかった、把握しにくい実情がつかみ取れるから......
......なんだけど。種類そのものが増えてきたり、感想にノイズが混じると、これも万能の手法では無くなってくる。特にクリエイティブ系のアイテムには指摘の通り、各コメントの書き手側の独断と偏見が多分に混じり、それが多分に反映されてしまうことが多くなる。
一応アマゾンでは「沢山コメントをしてくれる、良い評価の人」的な制度(VINEメンバー)も取り入れているのだけど、昨今ではこれも指標としてはぶれが大きくなっている。「専門家」との肩書を持つ人の言及がぼけてしまいつつあり、指標の一つにしかならなくなっているのは、アマゾンに限った話ではないけれど。
ゲームや書籍、漫画本では特に、感情論に走った、独断と偏見に過ぎた内容と低評価が盛り込まれているのを多々見かける。逆はあまりないんだよね。あったとしてもあまりにもテンプレ過ぎてインパクトが弱く目立たない(さらにアカウントを辿ると、組織的な太鼓持ちの動きも見受けられることも......まぁ、いわゆるステルスマーケティングのような)。でもマイナスのエネルギーは強いから、どうしても目立ってしまう。
点数のみでトレースすると、そのような独断と偏見による高評価・低評価のみで振り分けされてしまい、本来自分がチョイスすべきだったもの、良さげなものが振り落されている可能性がある。コメント数そのものが多ければ、ある程度そのタイプのぶれは防げるけれど、すべての商品でコメントが山ほどあるわけじゃない。
引用元では「リテラシー」と表現しているけれど、情報精査の上でノイズが目立つようになった昨今では、アマゾンの利用に限らずこの考えがホント、重要だなと感じる。コメント、評価数だけに振り回されず、あくまでも判断材料の一つとして認識できるか否か。
本来ならたくさんの「自分の考えで商品の良し悪しを判断し、評価し、レビューする」プロ的なレビュワーがネット上に登場し、各読者は自分の趣味趣向に近い人の意見を大いに参考するってのが良いスタイルなんだろうけどね。かつてコミックや書籍を中心に、そのような姿勢のブログは結構あったのだけど、アマゾンにおけるアソシエイツプログラムの改悪化で、そのスタイルを取っていた人、ブログを大よそ吹き飛ばしてしまった。
読者コメントが充実していればそれで良いってことなんだろうけど、ソーシャルメディアの現状を見るに、やはりプロ的な、ネットプロモーション業界の言葉なら健全なスニーザー的な人(くしゃみをする人。要は不特定多数に公知をできる人。αブロガーみたいな感じ)の存在は多数必要であるし、業界側が育成する......とまでは言わないけれど、育つような土壌を作る必要があるんじゃないかな、結局その姿勢が、中長期的にはウェブでの購入サービスの利用者の満足感のアップにつながる気がする。
話は戻るけど、アマゾンでの検索方法。商品仕様で区切った後は、とりあえず評価の高い順にソートして、その上で評価そのものの数が一定量、例えば10件とか20件とかに限ったものからチョイス。コメントを読み通して不具合などをはじめ良し悪しを精査していくのが、一番無難なんだろうね。良い評価平均値が出ていても、コメントを見ると色々とアレなものもあるから......。あとはアマゾン「以外」での評価精査も欠かせない、うん。
加え。以前紹介したと思うのだけど、これね。
大好きなラーメン屋がネットで酷評されてて足が遠ざかった。観たいと思ってた映画を評論家が★1つで「時間の無駄」と書かれてて観なかった経験がある。先日久々に食べたラーメンは旨くDVDで観た映画は面白かった。基準を外に託すと誰かに聞かないと幸せかどうかすらわからない化け物になってしまう
— 燃え殻 (@Pirate_Radio_) 2013, 3月 13
心理学の面でも言われていることらしいけど。結局最終的に決めるのは自分自身。他人の意見は大切だけれど、それに自分の判断を放り投げっ放しでいると、いつの間にか自分自身の存在がぼやけたものとなってしまうのだよね。あくまでも参考に。この記事自身も合わせ(笑)。
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