「転売ヤー」の問題点は、従来購入ができた人の機会を奪い、かつその奪われた人の需要に対し、転売ヤーが強制的に利ザヤを上乗せする点でしょうね。期間的・距離的な事情で購入できなかった人に対する仲介業的なものと同一視されがちですが。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016, 1月 7
年末年始好例の福袋で、また今年度も買占めと転売に絡んだ問題が多数事案として発生している。過去なら「こんな話があったよ」との情報がぽつぽつと出る程度で終わる、良くてブログで語られる、無記名掲示板で言及される程度で済んだのだけど、昨今ではソーシャルメディアで写真付きで語られ、それが内容次第であっという間に不特定多数に広まるため、これまでとは状況がやや変わりつつある。
そのような事案が存在し、購入機会に対する比率がどれほどのものかはさておき、絶対数としてはそれなりに存在することが認識されるようになった。加えて、その対象商品が多数同時期に(場合によっては同一人物によって)各種オークションに絶賛転売中との状況証拠も持ち上がり、その実情の確からしさを分厚いものとしていく。
転売、利ザヤ稼ぎ、せどり的なもの。それ自身は商取引の一環で、何の問題も無い(法的に免許が必要なものならともかく)。昨今「転売ヤー」云々として問題視されているのは、上記の通り、本来不特定多数向けの供給であったものが、その取得機会について、多数の人が奪われ、特定少数が独占してしまうことにある。
例えば郵便切手の中でもここ数年話題に登っているフレーム切手。これは期間中に申し込みをすれば、誰もが入手可能な仕組みとなっている(通常の記念切手とは大きく違う。元々デザインをオーダーして作る仕組みのオプション的なものだから)。この切手を取得し、期間終了後に欲しかった人に利ザヤをのせて転売する事は何の問題も無い。一方、とてもおいしい和菓子の専門店で、1日限定50個の特製羊かんを、購入しようと朝から並んでいた人の一人目が全部買占め、その店の前で利ザヤを上乗せして転売したらどうなるか。
要は商品販売側の売り惜しみによる不当な商品価格のつり上げと、同じ構造なのだよね。「転売ヤー」による買占め問題は。まだこれが、買占めした後で自分が全部消費してしまうのなら、「買占めするなよな」ぐらいのやっかみで済むのだけど。
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