一部の一部の人間が放送作家になる以外、行き場というか続きが世の中に設定されてなかったラジオのハガキ職人という種族がツイッターで輝いてるという事を自分は何人か伝説のハガキ職人のやってる垢を見つけて確信してる。日本人のツイッターの使い方は深夜ラジオのあの匂いに似てると勝手に思ってる。
— 燃え殻 (@Pirate_Radio_) 2016, 1月 9
元々SMSの連続系的なシステム構築がコンセプトにあり、SMSの文字数制限が160文字だったことから、名前分の20文字を引いて140文字を上限としたツイッター。その短文スタイルから、ミニブログという様式ではあるけれど、短歌や俳句のような短文でのやりとり、ちょっとした文面の交わし合いによる巧みさを競うような大喜利が好きな日本人の特性にマッチしたようで、海外では今一つ的なところがあるのにも関わらず、日本では大盛況(比較論ではあるけれど)の利用状態にある。
短歌や俳句はその盛況さの理由付けとしてよく使われているのだけど、今件指摘にはハッとさせられたというのが正直なところ。画像ネタももちろんあるけれど、文章での表現がメインで、短文でしかなく、しかも次から次へとネタがよどみなく流され、光り輝くものがあればあっという間に不特定多数の人に広められる。司会者的な立場にあるαな人の目に留まり、リアクションをもらえる可能性だってある。そして場への投稿ハードルは極めて低い。まさにラジオの投稿番組のようであり、ツイートはその番組へのハガキの投稿的なスタイルにも見える。
短文でのセンスを磨くという観点でも、放送作家周りと親近感はある。すでに個人ベースで、地方局で、あるいは全国局ですらすでに実施しているかもしれないけれど、ツイッターとラジオの番組を深く連動させるスタイルでの番組構成をしているところもあるかもしれないな。......まぁ、NHKなどで時折、すでにその領域に達した番組が行われているとの話は見聞きするけれど。
ツイッター......に限らず他のSNSも合わせ、結局のところ媒体、メディア、ツールの一つでしかないことを理解咀嚼できれば、当たり前の話には違いないのだけどね。コロンブスの卵的な内容には違いない。
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