「感想が来なくても同人活動続けますか?」という問いに対しては無理に倫理やイデオロギー色を入れる必要はまったくなくて、単に『人間はやってることに対してフィードバックがないと飽きる』という認知心理学の原則を示す以上のものではないと思うよ。続けて欲しければ感想を書こう。シンプル。
— 平田凡斎@GTD (@HBonsai) 2016, 1月 12
似たような立ち位置には自由業や自営業、特にクリエイティブな職にある人が該当するのだけど、自分の行動に対するリアクション、リターンが無いと、非常にめげる。なぜなら自分の行動が世の中には何の意味が無いものと認識してしまうから。自分の行動が何か影響を与え、その確認が反応で把握できる。どれだけ一生懸命働いても、怠けて働いても、同じ対価しかもらえなかったら、労働意欲はどん底まで落ちる。小説や漫画に出てくるような、毎日同じ食事しか出てこない、終身収容所みたいな感じ(あるいは「銀と金」に出てきた、某鉄道コンツェルンのお金持ちが趣味で行っている、地下の監獄みたいなもの)。
クリエイティブな職の人の場合、例えば原稿料が上がったり、より多くの仕事を任されるようになったり、本が重版されたりといった具体的な数字化による結果とか、読者の反応をハガキなりメールのプリントアウトしたもので受け取って、「自分の行動が世の中に影響を与えている、好感されている」ことを実感できる。もちろんお金を得るためって意味もあるけれど。
他方、同人活動のような趣味の世界では、そのようなお金などの対価で自分の行動の影響を知ることはあまり無い。その分、行動の受け手側の反応がより大きな影響を、創り手に与えることになる。同人云々まで行かなくとも、例えばツイッター上で自分のツイートがリツイートされたり「いいね」を受けた場合、それだけでもちょっと嬉しくなるのが良い例。相手が自分の行動に反応してくれたことが分かるから。自分の行動の意義を知ることができるから。
誰も聞いてないのに壁に向かってブツブツ言っている人がいたら正気を疑うでしょう?それは「人間は何の結果も生み出さない行動をいつまでも続けられない」という原則に反しているからです。聴衆のない創作活動はできません。できる人は自分で適切なフィードバックを得る術を確立しているか、狂人です。
— 平田凡斎@GTD (@HBonsai) 2016, 1月 12
創作活動はコミュニケーションであり、書き手と受け手の歩み寄りなので、書き手は練習を積んで実力を上げたり宣伝方法や作風を変えてフィードバックを得られるように工夫できるし、受け手は感想を送ることでフィードバックを渡してあげることができる。明快な答えはないが、できることはたくさんある。
— 平田凡斎@GTD (@HBonsai) 2016, 1月 12
「誰も聞いてないのに壁に向かってブツブツ言っている人がいたら正気を疑う」。これ、携帯電話の普及過程でもよく指摘されていたこと。従来型携帯電話がメインで、口述通話がよく行われていたころに、電車などで「車内での通話はご遠慮ください」がひときわ強調されたのは、声自身の迷惑さに加え、周囲からはその場に居る人の語りしか聞こえず、電話に出ている人の応対声音が聞こえないので、まさに「独り言をブツブツ言っている」状態のように見え、気持ち悪さを覚えたからに他ならない。
中には創作自身に意義を見出し、リアクションなど二の次という悟りを開いた人もいる。ただそれは、自分の作りだしたものが大きく成長していくことに心の安寧を見つけられた人の話であり、多くはその境地にはたどりつけず、何か他に影響を与えたと確認できることで心の満腹感を覚えるようになる。エゴサーチ(セルフサーチ)がよく行われるのも、結局自分がどのように見られているか、どのような影響を与えているかを知りたいからに他ならない。
「創作活動はコミュニケーションであり、書き手と受け手の歩み寄り」。同人系の活動では自分の情報発信に夢中になり、ついこの実態を忘れてしまいがちだけど、持続的な活動のためには欠かせない真理。だからこそ、プロモーション方面の手法が重要であり、事あるたびに話題に登るのだろうなあ、と妙に納得も行ったりする次第ではある。
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