「天下の●×ですよ」との上から目線で説得されたら、誰が首を縦に振るのだろう

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ここにおける「天下の」というのは、苗字が「天下」という偉人云々って意味では無く、世間によく知られている、知名度の高い、権威のあるという意味。そして多分に相手に対し、文句を言うことができない対象なのだから、黙って従え的なニュアンスもある。「天下の副将軍」的な言い回しが好例。元々「天下」ってのは江戸時代における将軍様を意味する言葉でもあるのだから。

教科書という素材の事情を考えると、商品名を伏せたり特定の表現を改めることを求める事態は仕方のない話。NHKで滅多なことでは特定商品名が出せないのと同じ。一応公共中立の立ち位置を確保しないといけないから。「天下の教科書ですよ!」との表現がいとう氏の創作、説明用の言い回しなのか、交渉相手側が直接語ったのかはともかくとして......。

まぁ、態度としてはそれに近い事は容易に想像は出来る。せめて相手側も教科書の事情というものを説明し、それらの言い回しは使いにくい的な事を解説すれば、まだ良かったような気はする。社内対立的なものが見え隠れているような気もするけど。


この「天下の●×だからひれ伏すべし、従うべし」的な話は、日常茶飯事的に遭遇する。天下という言葉そのもので無くても良い。それと同じような権威立てのあるものなら何でも。ただ、その権威がハリボテだったり、権威そのものは存在するのだけど、平伏する・恭順する理由はそれ自身からは見出せない場合が多いのも事実。当方も、「あの人はその筋の専門家で資格取得者なのだから、その人の発言に間違いはない。それに意見をするとは何事だ」とご意見を承ったことがある。専門家の主張発言がすべて正しいのなら、裁判はすべて平行線のままで終わる事無く続いてしまう。ドラえもんのひみつ道具の一つ「ソノウソホント」じゃないんだから。

それに昨今では専門家や公的資格自身が、対象以外の事案はもちろん、対象領域においても、即時信じ込む保証担保にはならなくなっているのも事実。履歴を調べ、過去の実績を確認し、背景から発言・主張内容の奥底にあるものを推し量り、その上で判断を下す必要がある。面倒くさいけれど、仕方がない。


肩書や強そうなバックボーンに読み取れるものだけで、相手を威圧したいのなら、こんな手法もあり。まあ、大宇宙周りは裏付けが取れていないのでネタとして読んでもいいし、「天下」は元々ネタだけどね。つまりは所詮、その程度のものでしかない。「天下の」とか、各種肩書にしても。精査の材料の一つにはなるけれど、オールマイティカードには決してならないということ。

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このページは、不破雷蔵が2016年1月31日 07:54に書いた記事です。

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