昨日の東京商工会議所での講演会 @hortense667 さんの「HMDで高級レストランのパノラマ映像を見ると、静止画見て、何も食べなくても、何か満足してしまう。つまり我々は空間を消費している」とのお話が印象深かった。
— 稲見昌彦 Masahiko Inami (@drinami) 2016, 2月 5
人間の食行動を刺激するものは、身体の栄養不足から発する純粋な食欲の他に、さまざまな文化行動的な欲望に基づいたものとなる。そして単純に体が栄養を求めた結果として生じる食欲ですら、結局のところ脳内で「お腹が減った信号を出して食事を摂らせないと、体が参ってしまう」との判断を下したからに他ならない。その信号を操作できれば、実際にはお腹が減っているのに満腹感を覚えたり、お腹が減っていないのに食欲がわいてくる。前者は例えばダイエットの手法の一つとして知られている「冷蔵庫にケーキなどのごちそうの写真を貼って食べた気になる」、後者は認知症などで食欲の信号にぶれが生じた時によくあるケース。
その辺りを思い返すと、HMDで単なる写真や映像以上のリアル感を覚えるレストランの情景を見るに、満腹感を覚えてしまうのは、大いに興味深いし納得がいく。「時間を消費している」とあるけれど、その表現は確かに巧み。疑似体験で精神的な満足感を得て、満腹信号に近いものが出てしまう。
体験と言われることを、情報(注意)消費、時間消費、空間消費などに分解して考えるのも、今後のサービス設計には大切かもね。
— 稲見昌彦 Masahiko Inami (@drinami) 2016, 2月 5
@drinami 一方でインタラクションは情報を生み出すから、単なる消費とは言い切れないから、用語は詰める余地ありだな。
— 稲見昌彦 Masahiko Inami (@drinami) 2016, 2月 5
@drinami インスタレーションでは、体験者自体が作品の、一部となるよね。例えばDDRでできる人だかりとか。
— 稲見昌彦 Masahiko Inami (@drinami) 2016, 2月 5
疑似体験も実体験も、結局のところ該当者にその結果生じる認識がなされるか否かが肝となる。催眠術が良い例で、たとえ実際には酸っぱいレモンであったとしても、それは桃ですよと暗示を受けて食べていれば、物理的な反応、体内での消化は別として、脳内では確かに甘い桃を食べている満足感を得てしまう次第。ある意味、リアルな表現、疑似体験ってのは、催眠と軸を近しくするものと考えても良い。
インタラクションも結局は、第三者や他の物質の反応がリアルになされるか否かの点で考えると分かりやすい。疑似体験空間で周囲のお客が固まっていたら醒めてしまうけど、一人一人が違った、本物の人間のような反応を示してくれれば、なんだか盛り上がる。ただ、そのお客の動きが、本物の人間と連動しているのか、単なるロジックによるものなのか。その差異を見る側が認知できるのか。
いわゆるチューリングテストを実世界上では無く、仮想世界上で行ったらどうなるのかとか。考えると色々と面白い。「マリオカート」のプレイヤートレース機能とか、ね。
映画「マトリックス」の第一弾に出てきた、青い薬(最初の世界は現実との認識)と赤い薬(最初の世界は実はバーチャルなもので、実世界における夢でしかないのが分かる)の話。仮想社会の技術の高度化はむしろ青い薬を開発しようとしているのに近しいのかもしれない。
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