「信長のシェフ」で感じた違和感、アマゾンのコメントではっきりとしたものに。現代の料理を戦国時代に持ってきてそれに対するリアクションの楽しさや使い方の巧みさがメインだったのが、歴史語りがメインになって料理はオマケ的なものになってしまったのですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016, 2月 5
シェフが戦国時代にタイムスリップして当時の材料などを駆使して皆を驚かせ、信長の配下として重宝されて多種多様な舞台を支えていく、荒唐無稽ではあるけれど爽快感と驚きが楽しめる、タイムスリップ物の中では意外な読みごたえがある「信長のシェフ」。最初は半ばお笑い素材として読んでいたけれど、今では単行本を全巻揃え、最新号掲載の雑誌待ちってことで隔週の週末は楽しさ倍増的な感じ。
ところが最近は少々違和感を覚えていた。昨年秋口にも一度ツイートしたのだけど、アマゾンでコメントをいくつか見て、ああこれだという実感が。現代の料理を戦国時代に持ってきてねそれに対する当時の人達のリアクションの楽しさ、歴史の中での使われ方の巧みさがメインだったのが、歴史語りがメインになってしまっている。本来メインの料理はオマケ的なものになってしまった。だからこそ違和感を覚え、普通のチープなタイムスリップ物と変わらない雰囲気になってしまっている。
右に挙げている14巻と15巻辺りで取り上げられている長篠の戦いでは、殆ど料理は出てこない。添え物程度。蓮の砂糖菓子辺りがかろうじてそれっぽかったけど、それ位。雑誌の最新号では料理のりの字も出てこない。
12巻から13巻辺りで西洋料理が半ば強引に封印されて「おや?」と思ったあたりから特に強い変化を覚えていたのだけど。そのタイミングで執筆者の構成が変わっていた。編集部の方針か、内部での意見の食い違いか(話によると後者によるもので、段階的に制作から抜けたとの話。それが事実ならば色々と納得はできる)。個人的には残念。西洋料理と戦国武将という組み合わせがポイントだったのだから。
例えば主人公がシュークリームを作り、信長の配下の武将が一堂に集まってそれを食べるシーンがある。名だたる戦国武将がシュークリームを食べるってだけでも面白いのに、ひげにクリームがべたべたついて難儀しているところを見て、主人公が「やべぇ、次からプチシューにしないとダメか」とか考え、あくまでも料理人として冷静に判断している描写とか、物凄く面白い。その類のが無くなってしまったんだよね。
ふと思い返すと、「信長のシェフ」は「ドラえもん」と同じ構図なのかもしれない。信長がのび太、ドラえもんが主人公のケン、ひみつ道具が西洋料理やその知識。色々な道具が使われ、周囲が驚き、色々とかきまわされ、面白い使われ方をされるけれど、結局大勢は変わらない。その予定調和が面白かった。
でもひみつ道具が制限され、登場する機会も減り、「のび太の日々の生活」となってしまった。そののび太自身も、ドラえもんがいるのび太ではなく、ごく普通の、ちょっとダメな一少年的な存在となりつつある。読みたかったのはそれじゃない。少なくとも当方には。
@Fuwarin 昔、岡田斗司夫がこち亀=ドラえもん説を唱えてましたね。両津=のび太、中川=ドラえもんで中川の金=秘密道具で両津のび太の欲望をかなえてあげるっていう仕組み。
— tozan (@miyakozan) 2016, 2月 5
@Fuwarin 最近はドローンなんかの現実のホビーがSFを追い抜いてしまって秘密道具の出番が減ってる感もありますね。ホリエモンなんかの、ちょっとしたフロックでスーパー金持ちになれちゃう現実も珍しくなくなりましたから中川も単なるルックスのいい兄ちゃんになった感が。
— tozan (@miyakozan) 2016, 2月 6
指摘にもある通り、こち亀も似たような構図かもしれない。最後に「結局何も変わらない」って辺りまで合致する。
長篠の戦い以降は歴史上は結構どろどろとした話が続くので、その辺りでもどのような展開が成されるのか、少々不安。話の方向性の転換と合わせ登場した、松田氏もまた「なんか違う感」があるし、ねえ......。
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