分かってない人結構いますが、出版不況は本当に深刻です。産業構造を劇的に変えないと出版社も取次さんも本屋さんも全部無くなります。10年もたない。その事に無自覚なのが、恐ろしい事に大元の出版社の人間です。何十年も同じ仕事をしてるだけで赤字知らずで高給を貰えてたからです。
— 石橋和章 (@mikunikko) 2016, 2月 16
https://t.co/4w5Ry6EMeg 本当にその通り。出版社の危機に対する無自覚は恐ろしいほどで、それでアマゾンにネット販売網を完全に奪われた。アマゾン日本上陸時、出版社は"日本には書店網があるからアマゾンは失敗する"と完全に舐めていた。それがごらんの有様。
— 高村武義 (@tk_takamura) 2016, 2月 16
先日話題に登った出版不況と、それに係わる書籍・コミックなどのコンテンツを提供するためのメディア・媒体の問題。元はといえば先日某中堅取次が破たんして、それをきっかけに地方の結構有名な書店が連鎖的に閉店する動きを見せたため、現状があらためて認識されたようなところからのもの。
世の中の断りがすべてAll or Nothingというわけではないけれど、つまり「完全に奪われた」ってのは語弊があるのだろうけど、領域をかなりかっさらわれた......という表現が正しいか否かはともかく、食われているのは事実。
ただ、その一方で。
出版不況って、「Amazonが来てから始まった」「電子書籍が出てきてから始まった」ってイメージあるけど、実は「かれこれここ20年くらい前から緩やかに進んでる斜陽」なのであって、ここ最近のエポックな黒船でどうにかされたわけではない、という話があって。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
可処分時間消費娯楽のニッチを長年「読書」が占有してきたのが「携帯ゲーム機」「通話のための携帯電話(後にスマホ)」「ネットの普及、コンテンツ閲覧端末のユビキタス化」「無償コンテンツの増大」まあ、ここ20年くらい掛けて進んだここらへんの台頭が、「紙束書籍という娯楽」の優位性を下げてる
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
もちろん打つ手がないわけではないんだろうし、編集や営業や様々な切り口から色々手を打ってきたんだろなとは思うんだけど、焼け石に水なところはある。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
ここらへん、紙束の本は、今後も「突然死」はないけど「緩やかな衰弱死」は避けようがないなとは思う。
これは例えば、あるコミック単行本で、電子書籍版と紙媒体版が同時に出た場合、双方とも買う人はあまりいないですよね。つまりはそういうことです。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016, 2月 16
@Fuwarin スマホの普及で暇つぶしに雑誌を買う必要がなくなってきました。結果、雑誌こそが売上の主力だった小規模書店は閉店ラッシュ。「より便利な物」の登場でそれに流れるのは人間の常かと思います。
— 茶請け (@ttensan) 2016, 2月 16
という指摘もある。むしろ当方の考えはこちらに近い。前世紀末辺りから紙媒体としての出版業界の斜陽化の傾向は見えていて、インターネットやらアマゾンやらの登場で加速化され、明確な「敵」「ライバル」が登場したので、それに責が負わされた感じがする。それらも要因には違いないけれど、それがすべてでは無い。そしてこれは紙媒体の本だけに限らず、新聞も含めた紙媒体全体、さらにはCD等の物理音源媒体も同様。要は技術進歩と普及浸透による選択肢の多様化で、各既存選択肢の選択率が減退した次第。
で、よく言われる「若者の文字離れ」を出版不況(斜陽)の原因に求める言説は、根本的に間違ってるとは思ってる。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
むしろ、文字はめっちゃ読んでる。マンガの吹き出しだってそうだし、Web閲覧、SNS閲覧などなど。「紙束の本」ではない文字を凄く読んでる。
@azukiglg 学校での朝読書運動なんかが、結構実を結んでいるらしく、瞬間的な意味では、中高生が一番本を読んでいるっていう調査があったはず。反面読んでないのは40~50代っていう。
— こんぽた (@cornpt) 2016, 2月 16
@cornpt @azukiglg データ有ります(°ω°) 小中高校生の平均読書冊数などをグラフ化してみる https://t.co/sGyBgjlIOy pic.twitter.com/kCUdfsdpPU
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016, 2月 16
他方、コンテンツとしての文字や文章が廃れているわけではない。米国ではすでに電子書籍を紙媒体書籍と同類のものとして扱い各種統計もなされている。日本でもデジタル上のコンテンツも合わせればむしろ文字は読まれている。それが売り上げにつながるか否かは別として。
電子書籍は紙束書籍の「嵩張る」というネックを解消したけど、「印刷と製本から解放された分、安くないといけない」という先入観に支配されてて価格が抑えられており、また、今もって皆が思ってるほどタブレットやスマホって、「読書」には向いてないんだよなあ。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
以前よりは性能向上しているけど、それでもバッテリー保ちをヒヤヒヤ心配しながら読む、マンガの吹き出しの中のルビや、作者の小さな書き込みが見えなくてそれをいちいち拡大して読む、とかさ。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
あとあれだ。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
電子書籍は「老眼が始まってる人」にはキツイw
一方で、電子書籍は「クレカを自由にできない人」には買うのがキツイ。
タブレットだと、個人的には「WEBに載ってる文章と紙で読んできた文章のスタイルの違い」にまだ脳が慣れてなくて読みにくい感じありますねえ...
— KGN (@KGN_works) 2016, 2月 16
スマホ?
わが上司のように「老眼だから読めない」って人も^^; https://t.co/Ln9OzL2Uw8
元上司は老眼を理由にメスを置いた人だから仕方ないだろうなと思ったんですが、別の元指導医(総合診療の師匠)も「ぼく読めないんだよね」とスマホでは読んで無かったですね^^;
— KGN (@KGN_works) 2016, 2月 16
拡大すれば良いだろと言われるけど、ページ全体をぱっと見られると判りやすいのですよ...w ←このへんが年寄
大きさに関してはそうなんですけど、「大きくしてもぼやける」「大きくしたらしたで画面全体が見えない」「いちいち大きくしたり戻したり面倒」ていうのもあって QT @Fuwarin: @azukiglg 逆に、老眼が始まっている人には「文字をでかくできるので有り難い」との意見も複数聞い
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
あと、電子書籍も「レプリカ系」と「リフロー系」では評価変わるとこはあるかもしれませんです。 QT @Fuwarin: @azukiglg 逆に、老眼が始まっている人には「文字をでかくできるので有り難い」との意見も複数聞いているので、ネガポジ双方ですね(°ω°)
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
ここらへん、「レプリカ系電子書籍(コミックなどがそうで、オリジナルの1頁全体をスキャンして画像として扱う)」は、全体を見渡そうとすると文字が小さくなり、文字を拡大すると全体が見えなくなる(´・ω・`)https://t.co/vVDeyOFDIX
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
リフロー系ていうのは、「文字を大きくすると、大きくなった分、文字が次のページに溢れていく」っていうアレね。原本の1頁をスキャンして画像として扱ってるわけではないので、文字本はこれのほうが読むの楽。コミックには使えない。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
@azukiglg リフロー系だと7インチくらいのタブレット端末を使うと大きさも相まって読むのがすごく楽なので、ラノベなど文字中心の書籍は積極的に電子書籍にシフトしてますね。あえて冊子と両方買うことも珍しくないです。
— あばらや@二軍のファンタジスタ提督希望 (@Junk_Abaraya) 2016, 2月 16
@azukiglg つまり最強は巨大タブレットと(何か違う) Yoga Home https://t.co/YKuRN9h1uy pic.twitter.com/Eb32eoRBYh
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016, 2月 16
ではデジタルメディア万歳、紙よさらばかというとそうでもない。紙には紙の、デジタルにはデジタルの良さがある。ビジネス面ではまだまだ収益モデルが不安定だということの他に、物理メディアでは無いがための長所がそのまま短所にもなりうる。先日触れた「めくってあとどれぐらいが残っているのかが感覚的に分かりにくいため、終わりに向けてのスピード感がなく常に一定のペースで読むことになってしまう」のも良い例。バッテリーの持ちなどは、まぁ、今後技術の進歩でどうにかなるのだろうけど。
クレジットカードの件もプリペイドカードの普及である程度パスができるようになった。しかし老眼周り......というか視力の件はどうしようもない。
最後の部分は半ばおちゃらけたオチになったけど、ある意味方法論としては間違ってはいない。または物理的な大きさを気にしなくても済む、空中投影映像の手法が実現すれば、この辺りもある程度はクリアできる。
ともあれ、「可処分時間消費娯楽」ぶっちゃけると【ヒマ潰し】の手段が爆発的に増えて多様化して、もう「暇を潰しきれない」んだよなあ。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
マンガでも小説でも、作者のデビューのハードルが下がってるし、商業デビューではないアマチュアによるコンテンツも溢れかえってるわけで、それなんかも全部追っていったら、「幾らヒマがあっても足りないが、金を払ってまで買わなくてもいい」っていう事態になりやすい。つかなってると思う。
— 加藤AZUKI【「超」怖い話 申】 (@azukiglg) 2016, 2月 16
先の 「漫画の単行本化はツイッター上に逐次新作をあげるのが近道」とウェブ漫画の原稿料体系と https://t.co/DhCNJn8xSG でも触れてますけど、結局はコンテンツとして何を提供するのかが重要であり、そのプロセスが多様化されただけの話なのですよね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016, 2月 16
最後に。少々脇道にそれるけれど、参加ハードルが下がったことでコンテンツの絶対量......というか第三者が触れることができる量が増えたので、暇つぶし手段が桁違いに増えた。結果として市場、というか供給は目いっぱい増えたけど、ビジネスのスタイルはこれまでとは異なる方式を考えねばならなくなった。紙媒体が頭を抱えているのは、ある意味この「世の中の変わりよう」に目をつぶっているか、気が付いていないか、知らないふりをしているか、あえて昔の状況のままで突っ走ろうと思っているからなのかもしれない。
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