主張を理解し易くするために例え話をしてるはずなのに、例え話の部分で揉めて、そもそもの主張の部分を全く相手にしてもらえない本末転倒な事例を大量に見たので、例え話は可能な限り避けとけって感じで。
— しの (@SH1N0) 2016, 2月 19
何をトリガーとしているのかは別として、例え話というのは得てして本来伝えたい内容を、概念レベルで把握しやすくするために行われる。伝えたい側への誠意や思いやりが多分にある。そのまま突然ガチガチの原文を呈しても分かりにくいだろうから、かみ砕いて柔らかく、細かくした上で、身近な似たケースを呈する、単純化するなどで、まず消化できるようにするわけだ。
ところがその例え話の部分を半ば意図的に曲解したり、粗探しをして、伝える側の誠意を無にするどころか、仇で返すケースが少なからず見受けられる。「本末転倒」との表現はまさにその通り。
けれど「例え話を避ける」のは、それはそれで問題が生じる。
元々「例え話の部分を半ば意図的に曲解したり、粗探しをする」人達は、伝える側そのものを攻撃したり、伝えようとしている内容を拒否するのが一義として行動している場合が多い。ピーマンをそのままの形で食べてもらえないから、すり潰したり細かく刻んだりお肉に挟んで食べやすくしたり、さらには苦くない品種のものを選んでも、「これはピーマンだから」さらには「これはあなたが作ったから」と門前払いをしてしまう、そんな感じ。さらには「形を変えて誤魔化している。僕をだますつもりか」「食べ物の形を変えるのは食べ物に対して失礼に当たる」と斜め上の理由で反発をするかもしれない。
そして例え話を除いて直接原典から語ると「理解ができない」→「説明が足りない」→「分かりやすく説明しろ」となる次第。
実のところ「理解できるように説明しろ」とは多分に「自分の意見に沿うような主張をしろ」を意味する。つまり「自分の主張以外は理解できないから、どのような例え話をしても無意味。むしろ例え話をするのはバカにしているのだろう」として反発する。
例え話に関して色々と曲解する話が出てくるのは、その例え話そのものが筋違いな場合はともかく、概して聞きうける側の「読解力の欠如が著しい」か、「意図的な主旨の改ざんをしている」となる。昨今話題に登っている、そして今回トリガーとなった話も結局のところ、「意図的な主旨の改ざん」なわけだよね。
まぁこんな感じで、まとめ話をしても曲解されたり逆切れされたり、色々と編集改ざんされて伝えられると、報じる側が周囲を萎縮させているのではないかな、という気も多分にする。言葉狩りみたいなもんだな。
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