「私達記者は正義。がんばる。」よろしい、それでは君らジャーナリストの正義は 一体どこの誰が保障してくれるのだね?

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昨今、ジャーナリストや報道関係者を名乗る方々の質の実態が露呈されて色々と物議をかもしているけれど、今件もAP通信の特派員という相応の立場にある方(認証マーク付き)のご発言。一応前後関係も合わせて精査し、当事者の過去の発言や他のメディアでの挙動も合わせて確認したけれど、意味・解釈の間違いはないと見て良いだろう。

報道関係者、ジャーナリストの創生するコンテンツを受ける視聴者が、読者が求めている報道は「事実」であり「正しい情報」。書き手の「真実」や「正義」は求められていない。それを知らしめるものは報道では無く、言論でしかない。報道の皮をかぶった言論を提供してはいけない。決して混ぜてはいけない。そもそも「正義」の定義とは何ぞや。自分の行動を正当化するための大義名分以上の明確な定義はどこにあるのか。

これは以前【プレスとオピニオンとエンタテインメントの境界線】など多数の記事で指摘しているのだけど、プレス(報道)とオピニオン(意見、言論、主張)の境界を曖昧にして良い所取りをしているのが、昨今の「報道」を自称しているサイドの最大の問題点。オピニオンでは一意見、単なる見解なので注目度は低く信じてもらえるか否か疑わしい。そこでプレスのように見せることで、事実だと誤認させて、高い注目と信頼性を偽装して付加させてしまう。


無論オールオアナッシングではないけれど、指摘の通り、正当性や数理的裏付け、確率論など論理的な後押しの無い「正義」という名のハンマーを報道や言論界隈などが振り回し、周囲をなぎ倒したケースは山ほど見受けられる。そこにはデマやガセをはじめとした悪逆が山盛り状態。そして場合によっては「感情論だから仕方がない」との開き直りすら見受けられる。「民衆が、視聴者が求めたから」との言い訳もあるけれど、それは求められたものの一つでしかなく、それを選りすぐって選んだのは他でもない、伝えた側......というのも以前言及した通り。

ソーシャルメディアは人の内面を容易に第三者に披露しうる、ある意味トラップ的な機能もある。その観点では、今件も合わせ昨今の報道界隈の暴走的な独善性の暴露というのは、今まで隠されていた実態が可視化されただけなのかな、という気がする。

......ああ、そうだ。最初に戻るけど「私達記者は正義」が仮に正しいとして、「それでは記者の定義とは」という話もできるよね。文言を書き記し、不特定多数に知らしめる能力を持つ者が記者の定義とするならば、ウェブ上に意思表現をできるもの全てが記者となる。そしてそれらすべてが正義となる。はてさて。

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このページは、不破雷蔵が2016年2月24日 07:43に書いた記事です。

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