新聞記事でしばしば見かける「波紋が広がりそうだ」「議論を呼びそうだ」「批判の声が上がりそうだ」「影響を与えそうだ」という結びの言葉は、ぜひこうなって欲しいという記者の願望である。地震や台風でまたどこかの原子力発電所が壊れないか心待ちにしている者達と大して変わらない。
— 井上リサ☆高浜釣り紀行 (@JPN_LISA) 2016年2月23日
これは新聞やテレビの報道が、プレス(事実の伝達)とオピニオン(伝え手側の意見や主張)をしっかりと仕切り分けしているのか否かの問題と合わせ、考えねばならない、気を付けねばならない事柄。指摘されている言い回しは得てして、伝え手側の主張や意見が含まれており、そこには事実からかけ離れた内容が示されている事になる。「波紋が広がりそうだ」「議論を呼びそうだ」なら、その具体的理由や根拠を示さなければ。
それこそ記者側が批判したい内容の事案記事すべてに「波紋が広がり、議論を呼びそうで、批判の声が上がりそうで、影響を与えそうだ」と最後に付け加えれば、印象操作が可能となってしまう。極論ではあるけれど、つまりはそういうこと。
視聴者が、読者が求めている報道は「事実」であり「正しい情報」。書き手の「真実」や「正義」は求められていない。それを知らしめるものは報道では無く、言論であり論説。混ぜるな危険。
2014/07「国民的議論が深められないまま●×している、この表現は流行る」「すでに流行ってます」「な、なんだってー!?」 https://t.co/L92CuM4FcM
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年2月23日
2014/10 「世間」以外の「あなた」な意味の言葉 https://t.co/CFdxljnZ95
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年2月23日
この「プレスの中にオピニオンを混ぜて、プレスであるかのようにオピニオンを語る」方法は、以前から何度か取り上げている。また報道に携わる者の中には、それこそが社会正義であり正しい手法であり、何の悪びれた様子もない人もいる。先日の【「私達記者は正義。がんばる。」よろしい、それでは君らジャーナリストの正義は 一体どこの誰が保障してくれるのだね?】が良い例だね。
見方を変えればそのような言い回しが含まれている記事があれば、そこで語られている事実に対し、記者なり媒体はあまり気に入らないと考えている......と判断し、一歩引いて読み直すフラグとしてもよいかもしれない。
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