「マナーを守ろう」の啓蒙は必要だけれど、思ったほどの効果が上がらない理由を考えてみる

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罰則規定付きの厳密な、拘束力のあるルールでは無く、この様式を守った方が全体としては便益が大きいし、社会的安定の期待度も高いのが、マナーや倫理と呼ばれているもの。グレーゾーン的な領域もこれに含まれる。暗黙の了解も概念的に近いかな。それを破ってざくざくと収穫した方がその人自身は大きな利益を得られるかもしれないけれど、皆がそのルール破りをしてしまうと、結局最終的には皆が損をすることになる。100人の人口を持つ村で一人の抜け駆けが行われてその人が10の利益を得ても、全体で一人につき1ずつの損が生じたら、全体では100の損が生じることになる。いや、場合によっては一人につき20とか30の損が発生する新たな拘束力付きのルールが生じるかもしれない。

なので、マナーを守ろう、ルールは厳守しようってのは、結局のところ一人一人の利益を守るための知恵でもあるのだけど、往々にしてこの文言ではっと気が付き、マナーを守るように改める人ってのは、元々マナーを守っている、あるいは時折破ることがあっても、すぐに守る側に揺らぐ程度のほどでしかなかったりする。そして本来、本当の意味で守ってほしいような対象は、そのような注意事項、罰則規定無しの啓蒙には、耳をふさいでしまう。

厳密には耳をふさぐってのは表現が雑で、多様なケースがある。言われても頭の中を素通りして記憶として残さない人、指摘されると反発して守らない人、認識はしているけど自分は来外だ・無関係だとして決まりごとの範ちゅう外に自分を置いてしまう人、自分だけならちょっとつまみ食いしても大丈夫だろうと思う人、そして自己ルールが社会規範より上位意思決定順位にあり指摘を無視してしまう人。

「マナーを守ろう」の啓蒙は大切。揺らぎ程度で済んでいる人を引き寄せ、立ち止まらせる効力はある。しかしそれが全く通用しない人もいる。これを忘れちゃならない。ただ、そのような人達に対しても、後に対峙する機会があった時に、注意はしたよねと説明するための証拠にはなる。

ともあれ。良心や社会規範に期待しただけでは、世の中がその思惑通りにいくとは限らないってのは、確かなことに違いない。

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このページは、不破雷蔵が2016年2月29日 07:31に書いた記事です。

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