「自分が善意を持って行動すれば、相手もそれに従い善意で示すはず」「だから相手が悪意を示すのは自分達が悪い」とする考えは、相手の行動思考・理念が自分と同じであるとの前提に基づいた空論でしかありません。それはまるで、「自分が買った株は絶対に上がる」とする投資初心者と変わらないのです。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年2月28日
トリガーとなった具体的やりとりはあえて提示しないけれど、特定の話に限らず、普遍的な話に違いは無い。ひとは得てして自分の社会規範、ルール、経験が世の中すべての万能論理、全世界で同じルール、考えの下に人々は行動していると錯覚してしまう。極端な例を挙げれば、一日三食が当たり前とか、朝食は食べるのが当たり前とか、食べる前にはいただきますというのが当たり前とか。
しかし実際には自分の信じている、実行している、慣れ親しんでいる常識や決まりは、すべての人が同じく実行しているとは限らない。自分とは異なる社会観念の上で生きている人は山ほどいる。別の文化形態を持つ地域の人の生活を見てびっくりする、カルチャーギャップを覚えた経験を持つ人は多いはず。要はそれ。
だから、自分が善意で行動すれば、相手も必ず善意で返すと思っていても、相手がその通りに行動するとは限らない。「相手から良い事をされたら自分も良い事で返す」という自分のルールを相手も有しているとは限らない(加えて、仮にそのルールを相手が持っていたとしても、相手の「良い事」と自分の「良い事」の基準が別物であることも)。
ところがそれを頑なに信じてしまい、さらにそこからルールを拡大進歩発展解釈し、相手が悪い事をするのは自分達が悪いからだ、との結論に達し、自分の身を切ってでも相手に貢献しようとする行動性向を持つ人がいる。相手が殴ってきたら、自分が悪い、相手が喜ぶようなことをしてあげれば良いまでの話、的な感じ。
個人対個人ならその発想も通用する可能性はゼロじゃない。対象に相応の良心があれば、そしてその良心の判断基準が自分と同じなら、頑なに奉仕をする態度を見て、悪事が良くないことに気が付くから。でも世の中には社会観念の上で自分と同じルールブックを持っていない人もたくさんいるし、さらには似たようなルールを持っていても、悪事で得られる利益の方が自分には貢献すると天秤で計り、悪事を続ける人もいる。むしろ悪事をした方が、相手のためになると考える人すらいる(「しつけ」と呼ばれるDV行為の多分はこのパターン)。
さらに複数の意思で決定されるような組織、例えば会社なり団体なり国となると、このパターンは大よそ通用しない。不特定多数の集合体である以上、ルールブックは自分とはまったく違うものとなるし、自らの利益が善悪の軸となりやすいから。
国同士のやりとりで「相手がヤンチャぶりをしてくるのは、自分の国が悪いからだ」との判断をして、譲歩ばかりをしたり、相手のなすがままにする対応では、相手の善意、自分の望むべき様式を引っ張り出す事はできない。これを差し出せば相手も気が付いてくれるだろう、満足してくれるだろうとの学習効果の期待はかなわず、むしろ「もっと譲歩を望めるかも」「もっと何かもらえるかも」と学習してしまう。ネズミやチンパンジーの学習実験と同じなんだよね、要は。
自分の考えの軸で相手も動くに違いないとする期待は、大よそ単なる空論でしかない。自分が買った株は得てして上がるものだと思いがちだけど、それが実現するように色々と考え、調べた上で買ったからこそだけど、その思惑通りにいくとは限らない。それでもなお、必ず上がるはずだと盲信し、それが外れると逆切れする投資初心者とどこが違うのだろうか。
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