明日は色々な意味で精査ができる情報を取得できる日になると思います。行動、言動をくまなくチェックし、どのような意図を抱いているのか、それを判断できる材料を、それこそ山ほど見受けることができるでしょう。後で「のせられて」「勢いで」「知らない」と言い訳されないように、しっかりと記録を。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016, 3月 9
アメリカ合衆国で大きな転換点となった9月11日。奇しくも月日的にその半年前となる3月11日が、日本では同じように転換点となりつつある。5年前の2011年3月11日に発生した震災で、色々と日本が変わってしまった、かじ取りの方向性が変化したことは否めない。ある意味、今でも狂乱の部分はあるし、それを続けようとする勢力もそれなりに力を持ってしまっている。それはおかしいだろう、という話が「感情論が」のオールマイティカードを振りかざす形で優先され、声高に語られることが容認されるケースが少なくない。
明日、3月11日は震災から5年目を迎えることになる。ちょうど週末金曜日に当たることもあり、色々と画策する動きも見受けられる。あるいはこの一か月間、社会的に色々といかがわしい話やら、騒げれば実態は何でも良い的な動きがあるのも、これに合わせての感はある。
ある意味明日において、誰が何をやったのか、関連する、あるいは連動する形で何を語ったのかは、これまでの3月11日以上に詳細に記録し、覚えおくようにした方がよいだろう。5年という節目で、考え、思惑が透けて見えてくるはずだ。
これまでも3月11日に色々と不適切な、不義理な、倫理観に反する行為や発言がなされたあと、「周囲にのせられて」「勢いでつい」さらには「そんなことをしたとは覚えていない、知らない」と説明する筋も無い訳じゃない。その際にしっかりと提示できるよう、有無を言わさないよう、記録は大切。
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