.@YamamotoScience さんの「NHKスペシャル「被曝の森」がひどすぎる 識者のコメント」をお気に入りにしました。 https://t.co/Atlgze185J
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016, 3月 9
.@toriiyoshiki @moriokahiguma Nスペで取材を受けた福本教授は、誤解を招いた、番組チェックすべきだったと反省し、再放送では回帰直線との文字は消されたそうです。取材元にここまで後悔させるNスペって、まともな報道をしているといえるのか?
— paul4 (@paul4seigi) 2016, 3月 9
1つ書き忘れました。Nスぺ「被曝の森」において東北大学福本研究室のプロジェクト紹介の部分で流れた、2014年1月に採取したサルの異常な骨髄事例の映像ですが、そういう極端な例を制作側から求められたので、探し出してお見せしたものだったそうです。他のデータに比べてワーストのものでした。
— Quantum Universe (@hottaqu) 2016, 3月 9
これは、Nスペ製作スタッフが「印象操作」を狙っていたという事実への致命的な証言では?
— 林 智裕 (@NonbeeKumasan) 2016, 3月 9
「被曝の森」がやったことは吉田調書捏造と同じ発想。
もう、「知られざる印象操作と報道被害」として特集番組作った方が視聴率とれますよ、多分。 https://t.co/4rGT3nN7yf
ここまでのことをやらかしたNスペの杜撰さを批判しただけで、ヒステリックな反応だとか言われてしまう訳ですよ。
— 林 智裕 (@NonbeeKumasan) 2016, 3月 9
もし、こうした捏造も印象操作も甘受したとして、その代償を受けるのは製作者やその擁護者ではないのに。
ずっと、そんな5年間だったというのにね。
先行記事でも触れているけれど、震災五周年を間近にひかえ、震災や関連事故に係わる報道なり言動がいつにも増して増えている。タイミング的には営業施策としては間違ってはいないのだろうけど、給料日前になると投函数が増える金融系のチラシのようで、苦虫を1キログラムぐらい一度にかみしめたような苦みを覚える。
で、先日報道された「NHKスペシャル「被曝の森」」もその類の一つ。タイトルからして、もう煽りの領域がNHKの番組としてふさわしくない感を覚えるのだけど、内容もその「期待」にたがわないもので、中でもN=9のグラフを裏付け的に表現した件については、大いに問題視されることとなった。
さらに今件に関しては、データを提供した側が意図しない使われ方をされた、その上、演出効果を狙った、始めから視聴者を錯誤に陥られるようなものを番組側が望んでいた上でのものだったことが、資料関係側から明らかにされた次第。ソーシャルメディアの類が無く、個人の情報発信が難しい時代なら、決して暴露されなかったに違いない。
個人的にはBPO事案相応の問題だとは思うけれど、BPO自身も先のSMAP事案ですら「問題なし」と判断してしまうほど、実態のない存在となっているからねえ。
ぼく自身はもう少し時間が経って、データの集積によって方向性が見えてきてからの放送でいいのではないかと考えていた。しかし、放送後のヒステリックなまでの反応を見ていると、逆にここでの放送に意味があったのではないかと思えてきた。 https://t.co/IHUHgTMG9Y
— toriiyoshiki (@toriiyoshiki) 2016, 3月 8
@moriokahiguma ぼくが考え直している理由は、番組に対する批判が大きかったことと、その一方で「よくやった」という声も多数寄せられていることです。賛否両論が激しく対立する番組というのは「やる意味があった」と思うのです。
— toriiyoshiki (@toriiyoshiki) 2016, 3月 8
先の「私たち記者は正義」や「報道は人々の記憶に事件を刻む責務がある」的な話同様、独善的な暴走感を覚える、一般的な観点からは軸が多分にずれる発想を、さも当たり前のように、正論として語る。先日も触れている、悪質な新興宗教に染まった、洗脳されてしまった人の言動を見ているようで、薄ら気持ち悪さすら感じてしまう。
【新聞やテレビの「報道」は物語の創作ではないのだけど、創作して当然との認識が主流なのかもしれない】でも言及しているけど、報道界隈では事前のチェックに関して「事前検閲になる」との大義を掲げ、この類の「情報源からの、正しいか否かを確認するための精査」ですら拒否させる傾向が強い、というかそれを当たり前の権利としている。さらに上記の通り、「賛否両論が激しく対立する番組というのは「やる意味があった」と思う」なる言及がぺろりと出ているのは、単に気持ち悪さ云々だけでなく、「騒ぎをおこせればよい」とする考えに等しく、でまとめサイトや放火魔、テロリズムの方向性と何ら変わるところはないと断じても良い。問題提起意識を大義名分とし、それに正当性を持たせる姿勢こそが、今の報道が問題視されている点の一つではないかな、と。
これは見方を変えれば「炎上上等」「問題提起ができたのだから、その過程や生じたロス、他の方面で悪用されたとしても、それは構わない」とする風潮への懸念にも同義だといえる。まさに「悪魔と契約する」事を正当化しているのと同じで、それは許されるべきものではない。
......まぁ、今件に関しては、NHKのクローズアップ現代で追求すればいいのではないかな、と。内部だから検証も容易で、関係者もすぐにつかまるだろうし。そのような内部浄化が期待できないのなら、文化だの報道だのと語る資格はさらさらないと思うのだけどね。
コメントする