NHKスペシャルから見る、現在のNHKの、報道の質の実情

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先行記事でも触れているけれど、震災五周年を間近にひかえ、震災や関連事故に係わる報道なり言動がいつにも増して増えている。タイミング的には営業施策としては間違ってはいないのだろうけど、給料日前になると投函数が増える金融系のチラシのようで、苦虫を1キログラムぐらい一度にかみしめたような苦みを覚える。

で、先日報道された「NHKスペシャル「被曝の森」」もその類の一つ。タイトルからして、もう煽りの領域がNHKの番組としてふさわしくない感を覚えるのだけど、内容もその「期待」にたがわないもので、中でもN=9のグラフを裏付け的に表現した件については、大いに問題視されることとなった。

さらに今件に関しては、データを提供した側が意図しない使われ方をされた、その上、演出効果を狙った、始めから視聴者を錯誤に陥られるようなものを番組側が望んでいた上でのものだったことが、資料関係側から明らかにされた次第。ソーシャルメディアの類が無く、個人の情報発信が難しい時代なら、決して暴露されなかったに違いない。

個人的にはBPO事案相応の問題だとは思うけれど、BPO自身も先のSMAP事案ですら「問題なし」と判断してしまうほど、実態のない存在となっているからねえ。


先の「私たち記者は正義」や「報道は人々の記憶に事件を刻む責務がある」的な話同様、独善的な暴走感を覚える、一般的な観点からは軸が多分にずれる発想を、さも当たり前のように、正論として語る。先日も触れている、悪質な新興宗教に染まった、洗脳されてしまった人の言動を見ているようで、薄ら気持ち悪さすら感じてしまう。

【新聞やテレビの「報道」は物語の創作ではないのだけど、創作して当然との認識が主流なのかもしれない】でも言及しているけど、報道界隈では事前のチェックに関して「事前検閲になる」との大義を掲げ、この類の「情報源からの、正しいか否かを確認するための精査」ですら拒否させる傾向が強い、というかそれを当たり前の権利としている。さらに上記の通り、「賛否両論が激しく対立する番組というのは「やる意味があった」と思う」なる言及がぺろりと出ているのは、単に気持ち悪さ云々だけでなく、「騒ぎをおこせればよい」とする考えに等しく、でまとめサイトや放火魔、テロリズムの方向性と何ら変わるところはないと断じても良い。問題提起意識を大義名分とし、それに正当性を持たせる姿勢こそが、今の報道が問題視されている点の一つではないかな、と。

これは見方を変えれば「炎上上等」「問題提起ができたのだから、その過程や生じたロス、他の方面で悪用されたとしても、それは構わない」とする風潮への懸念にも同義だといえる。まさに「悪魔と契約する」事を正当化しているのと同じで、それは許されるべきものではない。

......まぁ、今件に関しては、NHKのクローズアップ現代で追求すればいいのではないかな、と。内部だから検証も容易で、関係者もすぐにつかまるだろうし。そのような内部浄化が期待できないのなら、文化だの報道だのと語る資格はさらさらないと思うのだけどね。

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このページは、不破雷蔵が2016年3月10日 07:51に書いた記事です。

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