高校の生物の先生が大学の時にカニの心臓についての論文書いて何かに載ったという話をしてて(カニの心臓は年中止まってるとかそんな内容だったらしい)、その理由について「カニの心臓の動きなんか他に興味持つ人がいなかったから」と語っていたのを思い出す
— オオバ=タン (@obashuji) 2016年3月9日
世界の未知は均等に解明されていくわけではなく興味の順番に解明されていくというのは当たり前といえば当たり前なのだろうが。知ろうとも思わないことに対しては未知であること自体にも気づけないというのは人間の限界なんだろうなと思う
— オオバ=タン (@obashuji) 2016年3月9日
これは指摘されて、ああ確かにその通りと納得させられた話。人間の数は有限ではあるし、リソースも限界がある。加えて、趣味道楽や苦行に等しいようなレベルとなる謎解きは、よほどの幸運や何らかのメリットが無い限り、後回しにされる。某SF系漫画で「何か利益になるような発見が無いと月の探求、宇宙開発が取りやめになる」との流れの中で、焦りを覚えた主人公たちが月に巨大ウラン鉱脈を見つける的な話を思い出したりもする。
その謎を探ったところで何か世の中に影響を与えるようには見えないこともあり、技術的には精査探求は可能なのだろうけれど、なされていない謎解きは山ほどある。下手をすると謎そのものが存在を知られていない可能性だって多分にある。資料はあってもそれをまとめ上げて体系化し、統計を取り、傾向を確認するといった、研究待ちのものも数えきれない位あるだろう。
引用元では「興味」でまとめてくくられているけれど、それが普通の人にとって注目されやすいものだったり、世間一般の趣味趣向に近いものだったり、何らかの利益に結びつくものだったりと、その中身はさまざまなものとなる。それら「興味」に抵触しないようなものは、謎としては存在していても、解き明かされるための光が当てられるのは、随分と後回しになる。無尽蔵にリソースがあれば話は別なのだろうけどね。
......と。自分の部屋ホワイトボードや作業端末上のメモファイルにリストアップされている、したいことリストやアイディアの覚え書きが山盛り状態になっているのを見て、改めて実感する次第ではある。
ともあれ。「知ろうとも思わないことに対しては、未知であること自体にも気づけない」って発想は大切だと思う。まずはアンテナをできる限り多方面に向けて、電波を取得できるような姿勢が必要ってことかな。色々な発見をするためには。
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