問・ネットで、相手との論争に勝ちたいのですが、どうすればいいでしょうか。答・ジャッジのいるディベートや裁判ならともかく、当事者だけで勝ち負けを決めるのは土台無理です。真実はどこにあるかを双方で一緒に考えようというスタンスのほうが、むしろ建設的です。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年3月10日
インターネットの普及浸透、特にソーシャルメディアとスマートフォンの普及率アップに伴い、コミュニケーションのスタイルが大きな変化をとげ、情報のやり取りに係わるハードルが思いっきり下がり、その実体に色々と苦悩をしている人も多い。SFなどで突然超能力を持った人が、他人の思っている事が次々に頭の中に入り込み、処理しきれなかったり対応に悩んでしまうような、そんな感じ。
慣れや経験時間、元々の許容量や適応力など、人によってケースバイケースなので一概にこれが正しいってものはないのだけど、一つの発想法、方法論として知っておくと、ああなるほどねえ、という類の一問一答を、立て続けにツイートされていたので、これは役立つなあということで覚え書き。
ネット、特にソーシャルメディアは可視化されるため、ついつい片っぱしから手を出して、結局オーバーフローをおこしてしまうことになる。割り切りが大切。ただ、ここで使われている「真実」に関しては、以前言及している通り、人の数だけ存在するので、結局ごたごたしてしまう可能性が高いのだけどね。だからこそ、軸がぶれない事実をベースにする必要がある。自分ルールが通用する世界では、いつまで経ってもまともな試合は出来ない。
問・どう考えても間違っている発言を繰り返す人がいて、何とかそのことを分からせてやろうと思うのですが。答・誰がどう考えても間違っている発言は、誰もが「どう考えても間違っている」と分かるので、気にしないことです。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年3月10日
問・一見正しいが、実はおかしなことを述べている人がいて、気になるのですが。答・賛同者が少ないようなら放っておきましょう。賛同者が多いようなら、主張する本人をやり込めるのでなく、賛同者が「なるほどおかしいね」と気づけるように、分かりやすいことばで論じましょう。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年3月10日
問・ネットでディスられ(けなされ)て悲しいのですが。答・議論の上での話ならば、けなす・ほめるといった発言は情報量がゼロです。無視して結構です。「その資料は古いのではないですか」「その本にその記述はありません」といった、事実に関わる指摘をこそ重視してください。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年3月10日
問・「そのような記述はその本にはありません」と言われてしまいました。答・勘違いが分かってよかったですね。ついでに、別の本にそういう記述がなかったか、ご教示を願ってはどうでしょうか。勝負ではないのだから、協力してもらいましょう。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年3月10日
問・「あなたの論はAの点ではいいが、Bの点で問題がある」と批判されました。答・あなたがAを主眼に論じているならば、賛同を得たわけですから喜んでください。Bまで含めて論じているならば、不十分であったと反省しましょう。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年3月10日
問・私はすごく大切な主張をしているのですが、誰も耳を傾けてくれません。答・まずは肝心の事実を提示しましょう。その事実に説得力があれば、みんな聞いてくれるし、賛同者も増えていくでしょう。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2016年3月10日
例えば「誰がどう考えても間違っている発言は、誰もが「どう考えても間違っている」と分かるので、気にしないことです」とはあるけれど、意見力が一定レベルを超えて存在するひと、権威付けなどで底上げされている人による発言は、それが「どう考えても間違っている」ものであっても、勢いで、あるいはその底上げされたパワーで押し通されてしまうことがある。多くの人がだまされてしまう、惑わされてしまうことがある。口頭レベルならまだしも、ネット経由ではその惑わされる人、惑わす側が一定数集まり、それなりの力を持ちうるのでタチが悪い。
一方で、直接本丸に攻めずに、外堀を埋めていくという発想はとても大切。埋めても埋めても新たに堀を作られてしまうケースが多分にあるのが問題ではあるけれどね(汗)。
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