理系の研究者の人たち見てるとわかるけども、研究者ってのは積み重ねで、政策作るのも同じで、目の前にある材料からどうやって組み立てるかを考える思考してるんだけども、世間ってのはそうじゃなくて「これが欲しいから今すぐ作ってくれ」という要求の仕方するんだよ。マスコミも同じで。
— 織部ゆたか (@iiduna_yutaka) 2016年3月10日
偉大な研究者が画期的な方法論を生み出して、一晩のうちに世の中が随分と過ごしやすくなったとか、悪癖が取り除かれるようになったとか、犯罪発生率がグンと減って夜中でも平気で歩けるようになったとか。そんな技術はさらさら出てこないし、その類のものは概して「魔法」と表現される。大よそ実現不可能な願望だからこそ、世の中の理を超越した魔の力、法則で生み出された成果であり、だからこそ魔法と呼ばれる次第。
そうではあるのだけど、人は得てしてその事実を忘れ、あるいは忘れたふりをして、魔法的な成果を望むもの。あるいはそれを望んで駄々をこねれば、一定の自分に有意な物事が返ってくる、自分が気に食わない相手を傷みつけることができると学習してしまっているのかもしれない。そして魔法のような成果が出せたとしても、等価交換の原則にもある通り、相応の対価がどこかで失われることになる。
それを求めるのは愚の骨頂でしかない。
世の中を一夜にして良くする特効薬はない。これを朝夕唱えてるだけで、バカなこと言う確率がだいぶ減るんじゃないかな。
— 各務原 夕@バイタルメンテナンス中 (@nekoguruma) 2016年3月11日
一夜で「変わる」ことはあり得ても、「よくなる」なんて言い切れるのかどうか。誰にとって?とかちょっとでも考えますよね。
— はよ (@hayohater) 2016年3月11日
例えば一晩で自宅が燃えて更地になってしまうとか、全財産をFXですってスッテンテンになるとかいった類の、ネガティブな方向性への動きは、意図的な手立てで行えるケースが多い。けれどポジティブな方向への「魔法」的な動きは、意図的に成すことは事実上不可能。宝くじが当たった、見も知らずの親戚の遺産が転がり込んできたなんてのは、可能性としてはゼロではないけれど、薬のようにほぼ確実にその成果を望める類のものではないし、ネガティブ的な方向のもののように意図して行えるものでもない。
世の中を一晩で良くする特効薬など無い。常識を持つ人ならばすでに理解しているはずだけど、自分の我を通す意図が大きくなると、それを忘れてしまう、あるいは意図的に無かったことにしてしまう。けれど、その事実を何度も繰り返し、それこそ自我が暴走しそうな時には顔を見せて「それは無理やねん」とツッコミを入れるようになれば、それを一人一人が果たせれば、世の中はもう少し良くなるのではないかな。
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