マルチ商法などで横行している詐欺行為について、何年も不思議に思っていた事があった。
— タクラミックス (@takuramix) 2016年3月11日
それは、
「ちょっと調べればすぐに分かるような嘘をつくのはナゼだ?」
という事だった。
杜撰すぎる...でも、大勢が騙され被害が拡大し、詐欺師は大儲け...。
「顧客選別」だと気付くまで、謎は解けなかった
承前)詐欺や嘘はどこまでいっても本物にはならないので、綿密に調べられると必ずバレる。
— タクラミックス (@takuramix) 2016年3月11日
彼らが恐れるのは、
「綿密に調べるような人間を相手にする事」
だ。
だから、
パンフレットや広告で
「これは詐欺ですよ」
と、「分かる人には分かる」ように伝えておくのだ。
承前)すると、ちゃんと調べるような人は最初から寄ってこない。
— タクラミックス (@takuramix) 2016年3月11日
誰もが騙されたくは無いし、詐欺に関わりたくは無いからだ。
さて、人間にはもう一つ、
「騙されたくない」
という欲求の他に、
「自分が騙されていると認めたくない」
という強い欲求がある。
これが詐欺師をますます太らせる
これは指摘を受けてなるほど感を覚えたお話。どこから見ても詐欺以外の何ものでもない、ペテンでしかないもの、ウソだらけの話に関して、どうしていつも一定数の「騙される人」が存在しえるのか。報道番組と称する番組にしても、ウソ偽りごまかしの類が繰り返されているにも関わらず、それを事実であるとして、報道として見てしまう、信じてしまう人が少なからずいる。
これは人をだますような魔法を使っているのではなく、騙せるような人のみを相手にできる、フィルタリングする仕組みになっているがための結果。元より精査能力が無い、低い人、あるいはそこそこあっても自分がひっかかったと認めたくない人。それら、騙す側からすればカモな人のみが集まるよう、意識的、あるいは無意識のうちに選別を行っているという話。
ちょいと昔に話題に登った、某番組に関する「いやだったら観るな」発言も、あるいはこれに係わるものなのかもしれない。
承前)騙されて被害者になった挙句、詐欺師の手先となって、周囲にデマや嘘をバラ撒くようになってしまった人に忠告した事のある人なら誰もが経験している事だが、
— タクラミックス (@takuramix) 2016年3月11日
彼らは頑なに間違いを認めない。
寧ろ批判を受けると尚更詐欺師に貢ぐようになったりする。
「騙されていると認めたくない」からだ。
承前)騙される事を恥じる心が強い、周囲に馬鹿にされたくないという気持ちが強いという性質もあると考える。故に、騙されているという事実を認めたくない気持ちが、実はちゃんと調べるような人よりも強い。
— タクラミックス (@takuramix) 2016年3月11日
馬鹿にされる事を極度に恐れる性質についてのケアが無いと、こうした人々は抜け出せない。
単に騙された人ならば素直にその世界に浸透するだけなのだけれど、ある程度もやもや感を持ち「騙されてるかもなあ」という想いはあるけど、同時に、それ以上に「自分が騙されている」=「自分は間違っている、愚かだ」を認めたくないために、執拗なまでに信じ込む人の方が、むしろ他人にその虚実を「布教」する可能性は高いのかもしれない。
先日の【自分が不安だとしても、それを他人に押し付ける必要は無い】にも通じるところはあるのだけど、自分が騙されていると認めたくない、自分が疑っている内容は真実だという支えを得るのには、一人でも多くの同意者を得るのが手っ取り早い。そのためには「布教」が欠かせないという次第。まぁ、これは、実金銭のやりとりも合わせると、マルチ商法での典型的パターンだよね。
<補足>ちょうどタイミング良く、報道ステーションが2016年3月11日の放映でやらかしてくれていますが。
— タクラミックス (@takuramix) 2016年3月12日
連ツイ致しました詐欺師の手法と同じものです。
報道は、自分たちが詐欺師の教育教材と成っている事を自覚した方が良いと思いますが、そういう儲け方しか最早出来ないのでしょうね。
<補足2>報道ステーションが、どういう視聴者を選別しようとしている番組であるか、比較的そのあたりはあからさまな番組だと思いますが、だからこそ長寿番組となっている面があるという事に、視聴者の側は留意すべきと考えます。
— タクラミックス (@takuramix) 2016年3月12日
顧客選別それ自体は悪いものではない。
— タクラミックス (@takuramix) 2016年3月12日
真っ当な顧客選別は、販売側の提供するサービスや商品を必要とする顧客に的確に届ける事になる。
だが、詐欺師はその手法を悪しき意図で使う。
選別の意図がどこにあるのかを考えてみる必要がある。
報道やジャーナリズムに関しても、そういう警戒が必要だ。
で、この手法が先日の報道ステーションの震災の日の番組で行われていたとの指摘は、ああそうかと頭の中でシナプスがいくつかびびびとうなりつながった感じ(番組そのものは観ていないけど、山ほどアレがナニだったという話は各種資料と共に入ってくる。公共の電波を用いて、電波を流すのは如何なものか的なレベルだったようだ)。
指摘にもある通り、顧客選別の方法論そのものは悪い話じゃない。何しろ全人類を相手にした商売などできはしないのだから、よりコストパフォーマンスの高い対象に絞った上で、手の届く範囲での対処をした方が良い。美味しい料理を提供する調理師が「自分の料理でひとびとを幸せにしたい」と思っても、数十億人を相手にするわけにはいかない。
今件では報道ステーションのやらかしがトリガーとなっているけれど、テレビを中心とした報道全般、ジャーナリストを称する人達の言論にもいえること。メルマガなどの囲い込みは非常に良い例かもしれない。
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