2015年4月 「スマホやめるか、大学やめるか」信州大入学式で学長が迫った、という話 https://t.co/OZL3SxDyNl この騒動も朝日新聞がきっかけでしたね #何か見た
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年3月13日
「切抜き」報道の類を見ると、昨今の報道界隈は
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年3月12日
①国語力が壊滅的に減退している
②炎上のため、あるいは「核心的利益」を導く世論誘導材料投下のための、誘導編集力に長けている
のいずれか、あるいは双方の事態が進行しているのかなあ、という気はします #何か見た
特定の事案を取り上げることは別の機会に回すとして(例の講演とか、生放送での逆意に取れるテロップとその訂正事案とか)。昨今、大本の情報を編集する際に意図が違えるものとなったり、逆の意味を持つ形で伝える事案が多々確認されているのを見て、報道界隈、特に新聞やテレビにおいては、その制作関係者において「国語力が壊滅的にダメになっている」「『確固たる目的』のために日々少しずつ嫌がらせの類的な行動を、自分達の編集権限でやっている」的なものが、あるいはその双方が生じているのかなあ、と思わざるを得ない。
いずれにしても本来の「報道」ではやってはいけない話。また、それらを想起させるコンテンツが視聴者・読者に伝えられているということは、それなりの上層部局にまで同じ状況が浸透しているか、あるいはチェック機能が働いていないことになる。「現場の暴走で、力不足で」という言い訳は通用するかもしれないけれど、それを出すようでは組織全体の存在意義まで疑われてしまう。
@Fuwarin あと ③自らの報道に対する責任が希薄 も付け加える必要があるかと。昔からこの傾向はありましたが、最近は更に酷くなってきたかと。
— 愚者 (@fool_0) 2016年3月12日
問題なのは①②いずれ、さらに双方だったとしても、そして指摘されている③「責任が希薄」が加わったとしても、「報道」の存在意義は著しく損なわれてしまっている事実を裏付けしている。事象を簡易に素早く分かりやすく、そして正しく不特定多数に伝える事が、報道の責務に他ならない。そのために有しているのが不特定多数への情報伝達手段であり、それらの貴重な手段を有し活用し、不特定多数に便益を与えている公共性があるからこそ、さまざまな特権も与えられる。
「情報の不特定多数への周知」は、まだ高齢者を中心に権威付けの観点も合わせ多分に優位性はあるとはいえ、絶対的なものではなくなってしまっている。そして簡易に素早く理解しやすく、そしてなによりも正しく伝える能力に疑問符が、それこそ秒速16連射レベルで投げつけられる事態が次々露呈している。問題なのは媒体、ツールそのものでは無く、そのツールを利用して流す情報を作る、制作に携わる人たちの能力。ツールそのものの性能が悪い、おかしな挙動をする云々という話では無い事に注意。
そのような状況だからこそ、各自携わる人たちが身を律して「報道」を立て直す意識を持ち、行動をしなければならないのに、むしろ「報道」の権威とツールを悪用して、核心的利益の追求や政治的策謀のために使い潰そうとしている。わがまま三昧を繰り返し、注意を受けると「権利の侵害だ」と騒ぎ立てる。奇妙な状況には違いない。「お前は何を言ってるんだ」的な。
@Fuwarin それと加藤AZUKIさんなども度々仰ってますが、現在のメディアの劣化は意図的な悪意というより、扱う情報量の膨大化による分析や処理能力不足が顕著になってきたとのが根本的な原因でしょう。そしてそれを頑として認めないのが事態の悪化に拍車を掛けているのではないかと。
— 愚者 (@fool_0) 2016年3月13日
@Fuwarin それに比してネットの方がマシという訳でも無いのですが(リテラシー面ではネットもメディアもいい勝負)、それでもHPからSNSという風に主流が変化している所から察して、環境適応能力はネットの方がまだ上なのではないかと。
— 愚者 (@fool_0) 2016年3月13日
これは以前から指摘しているのだけど、世間一般に言われるところの「インターネット」と「新聞」「テレビ」って違うのだよね。概念レベルで。今件も合わせ、問題視している「新聞」「テレビ」は新聞の紙媒体そのものや、テレビ受信機、放送システムなどについてではなく、それらのツールを用いて不特定多数に提供されるコンテンツ、そしてそのコンテンツを作る各企業やその業界。インターネットと呼ばれるものは、テレビや新聞のように、配信されるコンテンツに関して何らかの業界を作っているわけでもなく、インフラに過ぎない。
上で指摘されている「メディアの劣化」は、実のところ「メディアの中の人の劣化」であり、「システムとしてのメディアの劣化」ではない。むしろシステムとしては格段に進歩している。そしてインターネット云々ってのはシステムであり、「メディアの中の人」として同列視はできない。テレビも雑誌も、そのコンテンツをネットにも載せてるからね。だから「ネットの方がマシ」というのは、ちょっと錯誤が生じてしまっている。
新聞やテレビの(報道としての)問題は、構成員の、配信されるコンテンツの質の問題であり、新聞やテレビそのものの仕組み、インフラ、システムの問題を意味しない。画質をもっと上げろとか、3Dで触感も体感できるようにしろ、という指摘じゃないでしょ?
いや。マスコミは昔から変わってないのかも知れません。それをあばくシステムが発達したのと、そのことにマスコミが目をそむけているのでしょう。
— 文野英人@三重北部 (@fumino_eight) 2016年3月13日
気づいても対処のしようがないのかもしれませんが https://t.co/t9WA6oUdrM
前から言及しているけれど、これも一理あるのかも。確認する方法は無いけれど。中の人の劣化と実情の暴露が累乗的に効果(?!)を発揮しているのが現状では無いのかな。
要は、ちゃんと与えられた責務を果たし、仕事をしろ、ということなんだけどね。
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