ニュースを見て、その元に当たらなくてはならないことが増えたんだけど、それってニュースの敗北だよね。単に昔は元に当たれなかっただけなんだろうけど
— 菊池誠 (@kikumaco) 2016年3月15日
マスコミが流すニュースも他のネット情報と同様に「ソースを確認すべきもの」になった感じはあるが、それはむしろ「ソースを確認する手段」が普通の人に開放されたことの結果なのではないか。1960年代のニュースがいまよりとくに信頼できるものだったとは考えにくいので。
— 渡邊芳之さん (@ynabe39) 2016年3月15日
「朝日新聞の震災報道を見たら取り敢えずは《デマ》と疑え」というのが最近の認識になりつつある。
— 井上リサ☆高浜釣り紀行 (@JPN_LISA) 2016年3月15日
先日の【都合の良い物語を創って事実であるように伝えるのは「報道」とは別だよね】にも多分に関連する......というか波及する話。元々以前からそういう流れではあり、それがじわりと悪化している感はもちろんあるのだけど、それが選挙が近そうな雰囲気と共に、より大胆に、より露骨に、よりひどくなってきたような気がする。
当方はというと「経年劣化の表れ、つまり昔はもう少しまともな人達で構成されていた、質も高かった」「実態が暴露されるような環境が整備された結果」の双方が累乗的に表れているとの考えなのだけど、前者については検証が出来ないこと(当時の実態を推し量るすべはない)に加え、現役を退いた人たちの言動を見るに、何か昨今問題をおこしている「やらかし報道」の関係者と何ら変わりないなあというところを見ると、やはり後者、つまり「元からこうだったのがばれるようになった」のってが多分なのかもしれない。ネットによる可視化は、普段可視化可視化とお騒ぎになる報道界隈自身の可視化も体現化させた次第。
平成28年3月14日の朝日新聞朝刊において、鹿児島県及び京都府におけるモニタリングポストの設置に関する報道がなされていますが、事実関係を説明します。https://t.co/RKNMRzTIFT#原子力規制委員会
— 原子力規制委員会 / NRA,Japan (@gensiryokukisei) 2016年3月15日
朝日新聞、またやらかしたのか。 https://t.co/eDhQTpJB4f
— 赤城毅 (@akagitsuyoshi) 2016年3月15日
朝日新聞、個々の記者は優秀なひとが多いという話はあるし、私も何人かそういう記者さんを知らないわけではないが、そこから出てくる報道が虚報になるあたり、組織としてまずい段階に来ているのではないかと思われる。個々には優秀な人材を擁しながら、ああなっちゃった昭和の陸海軍と同じではないか。
— 赤城毅 (@akagitsuyoshi) 2016年3月15日
いったい、いつからこうなったのか。私が二十代のころまでは、主張は措くとして、朝日新聞の「報道」はずいぶん信用されていたと記憶するが......。
— 赤城毅 (@akagitsuyoshi) 2016年3月15日
お雇い外国人として陸軍の教官となったメッケルは、日本の将校には願望に基づいて行動する傾向があるという意味のことを言っている(労働者の徴発困難な地で峠に多数の大砲を上げようとするとか)。願望に基づいて報道するあたり、朝日新聞は日本陸軍の後継者なのかもしれない。
— 赤城毅 (@akagitsuyoshi) 2016年3月15日
......しかし、紙の新聞は好きなので、なんとかしてほしい。今、どの新聞みても、この記事本当なのかと疑いながら読んでいるので非常に疲れる。
— 赤城毅 (@akagitsuyoshi) 2016年3月15日
ネットの普及は報道を受ける側、ソースとなる側が即時に反応を示し、それを不特定多数に開示できる効果を生み出した。間違った報道、意図的な改ざんをされても、昔は泣き寝入りだったのだろう。例え「それは違う」と声を挙げても、一企業、ましてや一個人が社会に周知できる範囲は限られる。そしてそのような訴えは、得てして不特定多数に周知できるちからを独占しているメディアは拾い上げない。自分達の首を絞めかねないからね。
朝日新聞の報道が信用されていたというのは、恐らく本当だろう。その内容がどこまで正しかったのか否かはともかくとして。一方で、メッケル氏云々の指摘は非常に興味深い。報道界隈で良く見受けられる主張「自分達が正義」「是非は報道自身が決める」「報道が成している行為は尊いから絶対だ」的なものと近しい。当方が何度となく使っている「核心的利益(に基づいて行動し、報道の権限も利用する)」と意を同じくする。
まぁ、でも考え直してみれば、些細な話どころではない「吉田証言」問題を数十年も改め無かったり、ちょいと昔でも「KYって誰だ?」的なことをやらかしている辺りを考え直すと、昔はあったとされる朝日新聞の「信用」も、あっという間に曇りガラス状態となってしまう。
しかし、朝方の叙勲の件についてはやっぱりNHKニュースが全面的に悪いよなぁ。見出しや記述のウェイトで印象操作したんじゃなくて、首相の意見が野党議員の質問に答えたものだと謂う重要な情報そのものが「ない」のだから、あれを読んで誤解するなってほうが無理がある。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
菊池さんのこのTWじゃないけど、NHKや新聞のニュースまで信用出来なくて一次ソースに当たらないといけないなら、マスコミなんて単に上から情報が落っこちてきた時にそれを知らせるだけの存在じゃないか。https://t.co/Zanv2vZ80s
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
マスコミ報道に無視出来ない割合で元情報の意味性を損ねるような歪曲が混入しているのだとしたら、合理的な態度としては「マスコミの報道はまず疑ってかかって一次資料に当たる」になるわけで、結局マスコミ報道って情報のインデックスに過ぎないのかよ感ある。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
たしかに限られた紙幅や放映時間の中で情報を纏めるには取捨選択が必要だが、あの首相の意見が野党議員の質問に答えたものだと謂う情報って取捨選択で棄てるべきものだったのかね。その意味で今回のはかなりひどい。情報品質が杜撰だと謂う意味でひどい。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
もう散々論じられていることだけど、今回の件では保育士不足と謂う社会問題の文脈で「叙勲」と謂うキーワードが出てくること自体とんでもなく斜め上なわけで、これは「誰が言いだしたことなのか」が重要な情報なわけ。そこを省くってアタマ沸いてるとしか思えない。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
「保育士が不足していますが、総理はどのような対策をお考えですか」みたいな質問に「叙勲で顕彰してモチベーションを」みたいに答えたんなら、ああこの総理ダメだなってなるけど、「保育士も叙勲しては如何ですか」「検討しています」だったらアタマ沸いてんのどっちだって話になる。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
これ、簡単に言うと報道の大基本の5W1Hがそもそも出来てないってことなんだよ。全然ダメじゃん。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
叙勲も含めていろんな評価軸で顕彰することを考えているってのは、質問に答えただけでそれで保育士不足が解消しますって言ったことにならないだろ。そこを省いたら発言の意味が変わる情報を省くって、そもそも報道になってないってことだよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
@chronekotei 安保法制んときの米軍核兵器輸送や、高市の停波発言とやらも、全く同じ構図だった。気になるニュースの一次情報当たると、どんだけこの国の報道がクソであるか、毎回思い知らされて絶望したくなる。
— Voss (@Voss_Zig) 2016年3月15日
@Voss_Zig 彼らの上司くらいの世代だと通じたやり口だから未だに続いているんですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年3月15日
これは先日取り上げた、NHKの叙勲と保育士報道周りの話へのツッコミ。大よそ指摘の通りで、特に新聞やテレビの報道が「情報のインデックスに過ぎない」状態となっている、なりつつあるってのは言い得て妙であるし、当方も何度か指摘している。そこまで質が落ちたのか、あるいは元々その程度でそれでもなお「内容バッチリあってるからスペシャル信用してよね」的な羊頭狗肉状態でビジネスをしていただけなのか。
まぁ、これも可視化の結果の一つ、なのだろうな。与えられた、責務としての仕事を果たさず、権利ばかりを主張し、指摘をすると逆切れする。それに何の存在価値があるのだろう。
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