TL上で流れているいくつかの事案を見るに、この報道のされかた、頻度の報道姿勢が、2009年秋からの3年半の間、とりわけ2010年6月までは、一体どこに隠れていたのかなと不思議に思うのです。日々のトップの妄言やおかしな行動に、どれだけ報道界隈は同じような姿勢を示したのか。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年3月24日
あえて特定の事案を指しているわけではないのだけど。昨今の政治がらみの不祥事を見るに、その不祥事が事実であるのならば相応の対応は必要に変わりはないのだけど、その反応や報道姿勢が随分と2009年の秋以降の3年半と比べて違うよなあ、という実感がある。また、先日ちらりと出てすぐに消えた某議員の陳情団への暴行「と報じられた」件も、無理矢理事件のように騒ぎ立てて火がつかなかったな残念だ、的な雰囲気が大きく感じられる。
【去年秋以降消えた言葉】や【増えたことば、減ったことば】などでも指摘の通り、表現面でも明らかに異なる物差しを使っている。テレビやラジオ、新聞のような一過性の情報をところてんのように逐次押し出されながら取得していれば気が付かないけれど、たとえ気が付いたとしても精査は難しいのだけれど、ネットの上で情報を蓄積してまとめ精査し、検索できる時代となると、やはり別物のモノサシを使って「報道」をしているよなあ、という感はある。
仮に今と同じような報道姿勢で2009年秋以降の時期も臨んでいたら、それこそ24時間ニュース番組の特番で埋め尽くされていたに違いない。単に情報伝達者として情報を伝える分にはそれでもかまわないのだけど。対象で物差しを変えておいて、それをしていなかったかのようにふるまい、「公正なジャーナリズム」云々とするのは、ちょっと問題があるよなあ、と思わざるを得ない。先日の「怒っています」横断幕とその顛末をしでかした、ジャーナリストを名乗る人達の行動が好例だけど。
昨今の議員関連に係わる失言や問題行動に関する報道、さらには問題とならないようなものをことさらにあおる報道について、一歩引いた目で見てしまうのは、先の3年半における報道界隈の姿勢を、しっかりと覚えているからなのだよね。この辺りは先日最終回を迎えた「GATE」のアニメ版第二期で、ジャーナリストの語りのシーンが、まさにそれを体現化している感はある。
それはまるで学校の先生がペナルティを子供に与える際に、ひいきの子供には「勘弁してやるか」的な姿勢でにこにこしながら軽く頭をこづくだけで済ませ、他方相性が合わない子供には思いっきり体罰を加えたり、校庭を走らせるような罰を与えたりするように。それは公正さに欠けていることに変わりはなく、そして公正だからとの前提で与えられている特典、優遇措置を受ける資格など無いことを意味する。報道はプレスであり論説(オピニオン)では無い。論説も自由には違いないけれど、特別扱いされることは無い。
ああ、そう、もちろん。このような対応を受けた経験をしたことがあればこそ、実感としていえる話。
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