世の中パーフェクトな、100%の良品など存在しない

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震災後特に幅を利かせるようになった「ゼロリスク絶対論」的な話。これまでも例えば高精度の家電商品や医療品関連の話で、ゼロカンマ数%の割合で発生しうる、けれど大勢的にはゼロに等しい事案が発生した時に、必要以上に騒ぎ立てたり、逆にそれの可能性を盾にして脅しをかけたり、絶対起きないことを求めてきたり。数理的な思考が出来ない、あるいは出来ないふりをしてより多くのお菓子をゲットしよう的な悪だくみを正当化する悪筋が少なからず見えてきている。

とりわけ家電商品とか医療品では、利用者の幅が広がり、思考レベルが高いとは言えない層、あるいは騒げば自分の益が増すであろうことを経験則として知っている人たちも利用することになったこともあってか、事例が増えている感はある。無論、ソーシャルメディアの普及に伴いその類の個々の対応者の具体例が可視化されてきたのも一因だろうけど、当方自身も経験則として店舗などの接客がなされる場面で、直に目撃するケースが以前と比べると増えている。

また、バルク品や互換品も流通量が増えて、かつそれを利用してのトラブルも当然増えるのが、この類の「ゼロリスク絶対論」の話を掘り起こす一因にもなる。


「安かろう悪かろう」の言葉は見方を変えると、良いものにはそれなりのコストがかかるので高くなるってのを意味する。チェックの際に不良品を除く工程を加えれば、そのチェック自身にお金はかかるし、不良品は廃棄なり分解する必要があるので、その分のコストは良品に上乗せせざるを得なくなる。正規の商品が高いのは、相応の理由がある......ってのは、以前カメラ用の充電池周りでも記事にした話。下手に安いからと互換品に手を出すと、かえって高くつくよ、的な。

家電の類でこのような話がとりわけ多いのは、家電そのものが複雑化したのも一因なんだろうなあ、という気がする。超良い例が電話。昔のようなダイヤルで番号まわして受話器を取ってってぐらいならば、トラブルリスクはほとんどない。でも今はスマートフォン。契約やらアプリ利用やら課金やら詐欺防止やらで、超えねばならないハードルが多すぎる。結局自動車と同じで、一定レベルの技術を取得できるようになるまでは、使えないっていう許可制にするしか、トラブルを減らすのは難しいのだろうね。

先日科学者周りの話でも言及したかもしれないけれど、まっとうな専門家であれば「絶対」という言葉はまず使えない。さまざまな可能性を認識しているから。過去のイレギュラーな事例を知っているから。確率論としてゼロはありえないことを理解しているから。


世の中に絶対はありえない。可能性、期待値の問題で、それに近づけることはできるけど。結局は期待値計算をした上で、それが損得勘定で合致するか否かの問題。この概念を身に着けることができれば、随分と世の中を上手に、そして快適に、有意義に過ごせるはずなんだけどな。先日の【「開けてみるまで中身は分からない」的な商品は業者からマージン込みで直接買った方が安くつく】も、実はその類の話でしかなかったりするわけで。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2016年4月 1日 08:00に書いた記事です。

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