ニュースは事実を伝えれば良いのであって、エンタメ番組はまた別の話。キャスターの思い込みをニュースのように語るスタイルはもう受けない時代

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退任が決まってからますますその暴走ぶりに拍車がかかった報道ステーションの司会者、キャスターたる古舘氏が3月末で退任。最後までのやらかしぶりと、それを伝える各報道に対する当方なりの覚え書き。特に「色々な発言ができなくなりつつある空気」ってのがポイント。以前の【想いの通りにならないと地べたにへばりついて駄々をこねる子供のような...「批判自粛が広がっている」とジャーナリストや知識人が会見】【旧来のジャーナリストで高名な人達による妄言会見と、それをメディアの危機に意見するジャーナリスト的な記事に仕立てる新聞と】などと構造的にほぼ同じ。

言論の自由はあるけれど、その内容には相応の責任が紐付けされる。語った内容に問題がある、間違いがある、おかしなところがあるのに、それを正しいかのように公知すれば、相応の反論や反発や非難や訂正を求める声が生じ得る。正確性を求める報道の名を用いて言論を成し、しかもその内容に関して問題点があるのなら、なおさら。


結局のところ、報道と論評をごちゃ混ぜにしてエンタメ化した詐称的ニュース報道に関して、ネットの普及などでその化けの皮がはがれてしまった、報道やジャーナリズムと自称していたものの多分も、その実態が可視化されてしまったことで、これまでの振る舞いができなくなったのが、「色々な発言できなくなりつつある空気」の実情かと。山師が煽動をしにくくなったという嘆き......というと表現がきついかもしれないけれど、そんな感じ。


同じような実感は複数の人が意見している。以前記事にもしたけれど、報道(プレス)と論評・言論(オピニオン)をごちゃ混ぜにして、ニュースの事実性を持っているように見せかけるエンタメ番組としての「ニュースバラエティ」なる形を生み出し、特にテレビ界隈のニュース報道を奇妙なベクトルに走らせたのは、ニューススーション(報道ステーションの前身)にあるとの説が有力。その意味では、カッコイイ言い回しなら「時代を作った番組」、実態としては「日本の報道の質を劣化させた始祖的番組」なわけだ。そしてその中で同氏は十分にその役割を果たした人物でもある。


これは指摘を受けてはっとしたのだけれど、確かに調べてみると「ニュースステーション」以前はニュースは単に事実を伝えるだけの、必要性は高いけれど面白みのないものだった。いわばラジオの交通情報や天気予報みたいな感じ。結果としては短期的には視聴率を稼いだということでテレビ局に貢献した形となったけれど、中長期的に見れば番組、局、さらには報道界隈全体に対し、多大な傷跡を残す形となっている。問題なのはその傷に、当事者自身が多分に気が付いていないということ。

まぁ、心の奥底では疑問符が埋もれているかもしれないけれど。それを自認してしまったら自我崩壊をしてしまうかもしれないから、決して見なかったことにしようとするのだろうね。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月 2日 08:11に書いた記事です。

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