報道ステーションで古舘が「無難な言葉で固めた番組は面白くない。少なからず人間は偏っているので情熱をもって番組を作れば偏る。全体的に程良いバランスに仕上げ直せば良いと思っていた」と発言。最後にこれまで偏向報道を行ってたのを認めましたね pic.twitter.com/8xTDj8cDSF
— DAPPI (@take_off_dress) 2016年3月31日
うーむ、報道「する側」の主観など、私に言わせれば百害あって一利無しなのですねぇ。報道する側は主観を交えず、推論を述べず、事実だけを淡々と報道擦るべきだと思っています。すくなくとも「そうであるように努力」すべきだと。 https://t.co/9a9HA2i50c
— 青髭 (@laboratorymembe) 2016年3月31日
【New!】 #古舘伊知郎 さん「色々な発言できなくなりつつある空気がある」 最後の「報ステ」で熱弁 https://t.co/ymvgbYSSRJ pic.twitter.com/SwwPgqHuMA
— ハフィントンポスト日本版 (@HuffPostJapan) 2016年3月31日
「色々な発言できなくなりつつある空気」ってなんでしょうね。政府の圧力ではないのは明らか。その圧力の正体は「国民の声」。メディアが好き勝手に捏造、世論誘導できた時代が終わったということ。 https://t.co/qgANluRWTv
— CatNA (@CatNewsAgency) 2016年3月31日
退任が決まってからますますその暴走ぶりに拍車がかかった報道ステーションの司会者、キャスターたる古舘氏が3月末で退任。最後までのやらかしぶりと、それを伝える各報道に対する当方なりの覚え書き。特に「色々な発言ができなくなりつつある空気」ってのがポイント。以前の【想いの通りにならないと地べたにへばりついて駄々をこねる子供のような...「批判自粛が広がっている」とジャーナリストや知識人が会見】や【旧来のジャーナリストで高名な人達による妄言会見と、それをメディアの危機に意見するジャーナリスト的な記事に仕立てる新聞と】などと構造的にほぼ同じ。
言論の自由はあるけれど、その内容には相応の責任が紐付けされる。語った内容に問題がある、間違いがある、おかしなところがあるのに、それを正しいかのように公知すれば、相応の反論や反発や非難や訂正を求める声が生じ得る。正確性を求める報道の名を用いて言論を成し、しかもその内容に関して問題点があるのなら、なおさら。
「古館さんの思い込みなんか興味ないんだし、事実だけ喋って終わりにしてよ」
— KGN (@KGN_works) 2016年3月31日
てだけでしょう。
あのスタイルが古くなったって事ですね。時代は変わりましたよ。
「キャスターの話す内容はすべてフィクションであり、(ry」も追加でw RT @namamushi_japan あの手の番組に (個人の感想です) という字幕必要ですよね
— KGN (@KGN_works) 2016年3月31日
古館さんのレベルなら、「どこかの公式発表が出ました、こう言ってました」の羅列だけの方がよっぽど有用でしたね。雑音と虚偽をわざわざ混ぜた信号を検証するより、生の信号の雑音を除去する方が楽だからです。 https://t.co/VyG192MbDC
— KGN (@KGN_works) 2016年3月31日
これまでの「個人は情報を取得する手立てがないので、大手メディアが一方的に下々に申し伝える」の時代から、個人ベースで情報が縦横無尽に取得できる時代となり、メディア側の想いや思想の必要性が落ちた、事実のみが重要になったということでしょうhttps://t.co/nhGRVOypKf
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年3月31日
報道(プレス)と論評(論説、主張、意見)をごちゃ混ぜにして、報道のラベルを貼って送り出せるような、詐称報道の時代は、終わりつつあるということですね。少なくとも必要性は減退しています。https://t.co/Hlp3yinkJu
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年3月31日
「違う、そんなことは無い」というのなら、そもそも報道で無いエンタメ情報番組に「報道」の名を冠した「報道ステーション」なる名前をつけている時点でアウトです。チャーシューが入っていないのに「チャーシュー麺」と名付けてメニューに載せるようなものですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年3月31日
@Fuwarin 論評(論説、主張、意見)→論評(オピニオン。論説、主張、意見)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年3月31日
結局のところ、報道と論評をごちゃ混ぜにしてエンタメ化した詐称的ニュース報道に関して、ネットの普及などでその化けの皮がはがれてしまった、報道やジャーナリズムと自称していたものの多分も、その実態が可視化されてしまったことで、これまでの振る舞いができなくなったのが、「色々な発言できなくなりつつある空気」の実情かと。山師が煽動をしにくくなったという嘆き......というと表現がきついかもしれないけれど、そんな感じ。
政府の圧力ではなく感じた「空気」とは、つまり〝ネット〟のことだろう。言論がマスコミの専売特許でなくなる端境期に、依怙地になって格闘する古舘氏は〝頭の古いマスコミ屋〟の象徴になった。我々は商売の仕方を変える時期なんです。お疲れ様。 https://t.co/Jk17gdhWlT
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2016年3月31日
今まで、政治家や教師、電力会社の人のざっくばらんな発言を「問題発言だ」「謝罪しろ」「辞職は」と叩いて〝発言できない空気〟を作ってきたのは誰か。まず、言論の自由が自分たちの特権であるかの勘違いを捨てるのが先です。難しそうですが...。 https://t.co/2Cdmptcb18
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2016年4月1日
古舘の「報ステ」は昨日で終了。12年間という歳月は本当に人をここまで変えてしまうのかと言うのが正直な印象。本人は自分なりの「正義感」を持って番組に望んだのかも知れないが、耳目をただただ集めたいと言う番組制作側の要望に負けてしまったのかも。不安をばらまくだけの番組は不要。
— 高橋一博 (@JAPINJAP) 2016年4月1日
同じような実感は複数の人が意見している。以前記事にもしたけれど、報道(プレス)と論評・言論(オピニオン)をごちゃ混ぜにして、ニュースの事実性を持っているように見せかけるエンタメ番組としての「ニュースバラエティ」なる形を生み出し、特にテレビ界隈のニュース報道を奇妙なベクトルに走らせたのは、ニューススーション(報道ステーションの前身)にあるとの説が有力。その意味では、カッコイイ言い回しなら「時代を作った番組」、実態としては「日本の報道の質を劣化させた始祖的番組」なわけだ。そしてその中で同氏は十分にその役割を果たした人物でもある。
古館にとって報ステって、それまで盛りまくりのベシャリで売ってた色物アナウンサー出身ってコンプレックスを、「看板報道番組のアンカーマンを長年務めた」みたいなファンタジーで埋めてくれるキャリアだから、まあ本人は全然悪いことしたとか思ってないんだろうね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
単なる「ベシャリのおもろいオッサン」ってだけじゃなくて、「ベシャリのおもろさで報道番組に大きな足跡を残したアナウンサー」の肩書きが加わるわけだから、本人的には誇るべき実績でなきゃ困るんだよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
でも掛け値のないところを言えば「べしゃりのおもろいオッサンが報道番組に色気を出した結果世の中に害悪を垂れ流した」って惨めな現実でしかないわけで、そんなの本人が認めるわけないよな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
ニュースステーションも報道ステーションも、所詮は「局アナ出身のベシャリの上手いオッサンをアンカーマンにして数字稼ぐ」って戦略が、テレビ報道においては社会に害悪しかもたらさないと謂う事実を証明した事例に過ぎないなぁ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
ニュースステーションも報道ステーションも或る程度数字稼いでテレビニュース番組としては当たった部類かもしれないが、結果的に社会に迷惑しか掛けてないよな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
結論としては、テレビは報道で数字稼ごうとしちゃいけないんだよ。その欲が出発点にある時点で報道に要求される誠実さが真っ先に犠牲になるんだから。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
あのな、夕方や深夜帯のニュース番組で各局が視聴率争いに突入する前後の時代を知ってるからあえて言うけどな、テレビニュースなんて面白くなくて当たり前なものなんだし、ニュース番組で数字稼ごうとする時点でテレビ報道の堕落が始まるんだ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
「ニュースショウ」みたいなキーワードで各局が競ってニュース番組で数字を稼ごうと欲を出す以前は、ニュース番組なんて電車の中でドヤ顔で新聞読んでたようなオッサンしか見ないコンテンツで、数字悪いのは当たり前な種類の番組だったんだよな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
今の感覚だと、テレビの政治報道とか事件報道って面白おかしく盛りまくって大衆の興味を煽る目玉コンテンツって感じになってるけど、たしかオレが二〇代の頃ってオッサンしか見ないショボいコンテンツだったって記憶しかない。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2016年4月1日
これは指摘を受けてはっとしたのだけれど、確かに調べてみると「ニュースステーション」以前はニュースは単に事実を伝えるだけの、必要性は高いけれど面白みのないものだった。いわばラジオの交通情報や天気予報みたいな感じ。結果としては短期的には視聴率を稼いだということでテレビ局に貢献した形となったけれど、中長期的に見れば番組、局、さらには報道界隈全体に対し、多大な傷跡を残す形となっている。問題なのはその傷に、当事者自身が多分に気が付いていないということ。
まぁ、心の奥底では疑問符が埋もれているかもしれないけれど。それを自認してしまったら自我崩壊をしてしまうかもしれないから、決して見なかったことにしようとするのだろうね。
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