メガネという道具があるおかげで我々は視覚障害者とは呼ばれない。メガネという道具を産んだ先人に感謝。そして、未だ障害で苦しむ仲間たちに科学の救いがいち早く来ることを願います。
— トンマーゾ@ゴーダンナー (@Gang_Para) 2016年4月2日
視力を底上げしてくれたり視界を正しいものにしてくれたりと、眼鏡は人間の視覚の上で大きな貢献をしてくれる道具に違いない(ビジュアル上のアクセント云々は別の話として)。当方も以前書き記した通り、ここしばらくの間に何度か眼医者にお世話になって、一度は眼鏡との付き合いが始まるかもという状況にあったので、非常によくわかる。
今件指摘ではっと思わされたのだけど、他の部位のトラブル、能力の低下の場合には状況次第で障碍者と呼ばれるようになるかもしれない。その表現に対する思惑は別として、眼鏡による補正のおかげで、普通の状況と同じような行動を成すことができる。視界がぼんやりとしたり文字が読みにくくなってしまっても、眼鏡があればこれまで同様に周囲のものも見えるし、文字も読める。眼鏡は本当にありがたい道具に違いない。
同時に。身体機能の補完ツールとして眼鏡は結構昔から存在していたこと、機能補完が十分なレベルにまで達していること、利用者が多数に及ぶこともあり、何か仕切り分けをされることは無い。今後医学の進歩で他の身体器官の障害に関しても、同じような社会的認知がなされるとことを、切に願いたいものではある。
他方、これもまた何度か記したし、自分でも経験がある話なのだけど、ぱっと見で分からないタイプの身体上のトラブルへの冷淡な対応ぶりってのも、少しずつ状況が改善されていくといいなあとは思う。
コメントする