ガチャの怖いところは、例えば車なら3000万出せば乗りたいフェラーリ買えるわけですよ。ところが500万出してどの車出るかわからないところだし、たいてい出てくるのコンパクトカー。そしてフェラーリ出るまで引くと一億かかるとこ。三千万ならガチャする気になるけど一億かかるから気が引ける。
— 結城焔@コミ1え31a (@yuuki_homura) 2016年4月3日
先日の【「開けてみるまで中身は分からない」的な商品は業者からマージン込みで直接買った方が安くつく】とも絡んだ話。あるいはゲームによっては直接指定購入ができるタイプのものもあるかもしれないけれど。
この例えは結構的を射ていて、しかもガチャが多分にギャンブルであることをばっちりと知らしめてくれる。もっと即物的に「3000万出せばよい家が買える」「しかし500万馬券に突っ込んで増やして1億の家を買おうとしても、当たるか否か分からないところだし、大抵スッテンテンになる」とかだと、もっと救いが無い。
他方、「元々直接購入すれば3000万のところ、ガチャへの投入金額も3000万で(確率的には)済む」のなら、そもそもガチャの必要性が無い。「気が引ける」との心境は、すでに頭の中で期待値計算による損得ができている事を意味する。これが「もしかしたら500万で3000万のが当たるかも」という淡い期待が前面に出てしまうと、ちゃっとヤバいよね、的な。それこそがギャンブルの怖さでもあるのだけど。他人は損をしている、でも自分ならきっと、という自分が選ばれた人物であるかのように思ってしまう。
で。ガチャの怖い所はこのようなお車のような話ですらなく。3000万出して直接フェラーリを買える機会が与えられていない点にある。3000万円相当のフェラーリを取得するのに、500万のガチャを引くしか方法がないということ。先の玩具の話なら、中継業者的な人とのやりとりでマージン込みの価格で買っても十分割が合うのだけど、ゲームアプリの場合はそれも出来ない。以前当方が経験した「ハッピーセットフルコンプのためにマクドナルドへの巡業の日々」も、半ばそれと同じ。まあ、オークションを使えば補完はできたのだろうけど、当時はそこまで頭が回らなかった。
その上、「フェラーリ」の性能やら値付けも運営側の思うがまま。何しろ神様的な存在なのだから。昨今の課金問題で色々と騒がしいのも、要はこの「神の采配」の無茶ぶりが一因だと考えると、すっと理解ができるのではないかな。
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