目立てばよい、印象に残らなければ勝ち負け以前の問題だというけれど

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技術展示会などが行われるとよく言われる話ではあるけれど、「どれほど良い商品でも知ってもらわねば意味が無い、購入される事が無い」という話がある。買う、買わないの判断は認識した上でないと出来ないので、真実の一つに違いない。「こんなの知らなかった。知っていたらもっと早く買って使っていたのに」が良い例。

広告も多分にその「周知してもらう」が第一義的な存在意義で、「使うか使わないかはともかく、まず知って、中身を確認して」が目的。知らしめただけでなく無理矢理買わせるのは単なる押し売りとか、ワンクリック詐欺の類。

他方、この「知ってもらわねばならない」への焦りが強まると、「どのような手法を用いても、いかなる印象をもたれようと、とにかく知ってもらえば、記憶に残れば勝ち」とする方向性が出てくる。炎上商法などが好例ではあるし、ネガティブな情報を優先して配信する一部報道界隈も似たようなものだろう。

情報が一過性で個人ベースから周囲に拡散する機会が少なければ、その方法も多分に有効だった。不快なもの、炎上手法によるものでも、中には好意として受け止め、肯定する人も出てくるかもしれない。その場で存在自身を認識し、炎上方法などで受けた負の印象は薄れ去り、後になって判断が覆り「いいかも」と見なしてくれるかもしれない。

しかし現在は情報の概念がちょっと変わってしまっている。蓄積され後になって検証される機会は大いに増え、また第三者に周知されることも珍しくなくなった。ソーシャルメディアなどを用い、第一発信者が意図しないスピードで広範囲に広まる事もある。

「覚えてもらえればそれでいい」はあくまでも存在していることのみが時系列的・場所的に広まり、ネガティブな情報は薄れていくことが前提だった。でも今ではそれもかないにくい(ソーシャルメディア、インターネットをあまり使わない層になら有効だろうけど)。

その意味では「街で全裸になり、騒がれて喜ぶ様なお下劣行為」はその言葉通りで、昔ならば「そういうヤンチャなこともしたよねえ」といううっすらとしたイメージで語られる程度で済み、名前のみが知られる形なので、炎上もプラスに働いた。けど今なら写真はおろか動画まで事あるたびに伝えられ、当時の報道記事も合わせてそれが事実であったことを語られる。反省の弁などがなければ「今でもやってるだろう」と推定されてしまう。

今では炎上やネガティブな情報の意図的な披露は、単なる知名度アップのためのプロモーション手法の一つでは無く、その炎上・ネガなものを肯定する人達を集める、尖鋭化(良い意味か悪い意味かはともかく)の手立てとなっているのかもしれない。

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このページは、不破雷蔵が2016年4月 8日 07:44に書いた記事です。

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