意図的にウソをつくと辻褄が合わなくなり、それを繕うためにまたウソをつくと話が益々おかしなことになっていくものです。口頭での一過性の、反復性のない状況なら誤魔化せますが、記録され再検証される時代では、よほどシナリオ立てた嘘でない限り、時間の経過と共に話そのものがゆがんできます。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2016年4月7日
ガソリンやコーヒーやケータイなど、トリガーとなる話はさておくとして。人の記憶ってのはごく一部の人を除けば曖昧で、しかも自分の都合の良いようにすり替えられることも多々あるので、実際のところはアテにならないことが多い。以前も触れたけれど、例えば事故現場の目撃証言が、同じ事故であるにも関わらず結構食い違いが生じるってのが良い例。災害の場合はインパクトが大きいので、特にその傾向が強い。
また、認識の曖昧さだけでなく、自己防衛本能が働いた結果として、記憶がすり替えられる、上書きされる場合もある。漫画やドラマのネタではよく使われる話だけど、日常生活においても多々ある。
そのような仕方がない結果としてうそになってしまうってのは仕方がないけれど、自分のミスや悪行をごまかすためのうそってのも世の中にはたくさんある。その際、その場で言い繕うかたちでうそを語ると、よほどのストーリーテラーで無い限り、辻褄が合わなくなってしまう。例えば後で皆で食べる予定のケーキが無くなっていて、「僕は食べてないよ」と否定する子供が、なぜか夕飯の大好物のハンバーグにほとんど手をつけず「お腹いっぱい」と席を離れてしまうとか、後になって食べ過ぎで腹痛を訴えて来るとか。また、知らないはずのケーキの姿形をぺらぺらとしゃべってしまうとか、「あの時美味しかったからまた食べたい」と店の前で指差すとか。
それと同じようなことは大人の世界でもよく発生するし見聞きする。口頭によるやりとりの中でのうそならば聞いた側は時系列立てて矛盾の精査をする余裕などないので、ああそうかと大体信じ込んでしまうし、反復性が無いので再検証も難しい。けれど情報が記録され、並べ立てて容易に再検証される時代となると、よほどシナリオ立てた嘘でない限り、時間の経過と共に話そのものがゆがんでくる。事実をそのまま語るのなら、事実がそこにあるのだから、表現者の感性による表現上の違いがあるので多少のゆがみは生じるけれど、それほどひどいものにはならない。
でもうそをつく前提で語られた虚言は、前後の辻褄を合わせることは滅多になく、当然それらをチェックするとおかしな話になってくる。先の例なら「お腹いっぱいってのはどうして」と突っ込まれ「お昼ご飯食べた後に運動していないから」とその場限りのウソをつくと「さっきまで外で遊んでたでしょ」とすぐに突っ込まれる次第。「あの時美味しかったからってのは勘違いで、ずっと前の話だった」と言い繕うと「このケーキは先日発売したばかりで、うちではあの時買ったのが初めて」と矛盾を指摘される感じ。
誤魔化しのウソは、容易に追及される時代。正直に語れば、今まで以上に報われる。少なくともウソの暴露が容易くなることで、相対的に正直者が評価される機会が増える。正直者が馬鹿を見るってのは嫌な話で、当方も何度となく経験しているけれど、それが少しでも改善されるようになるってのは、良い事だと思うのだな。
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