3月12日の #朝まで生テレビ を見直しているのだけど、現代の問題が凝縮しているんだよね。政府は信用できない、東電は信用できない、政府機関は信用できない、科学者は信用できないとなっていくと、誰なら信用できるの?という話になるんだわ。ここに出てくるのが運動家や宗教なんだよね。
— ええな@腰痛持ちねこモフ (@WATERMAN1996) 2016年4月10日
ホントかどうかも分からない(精査できない)専門家や企業、権力者なんかの説明よりも、「信じたいこと」を言ってくれる運動家・宗教家の甘言の方を信用すると。おっかねえなあw 「俺はそんなことない」と断言しきれないのが、なお怖い。 https://t.co/PYJaR8dD76
— ブラハン(再墜落中) (@nns_blackhand) 2016年4月10日
当方も何度か言及しているけれど、そして自分自身も気を付けねばと思っている話。ルータというか翻訳家的な役割にある人によって創られた「分かりやすい」説明や素材は、つい鵜呑みにしてしまいがちなんだけど、実のところそれが正しいとは限らない。ツイッターなどでも「これ分かりやすいよね」的な感じで図版がリツイートされてくる場合、その少なからずで「分かりやすいかもしれないけど、内容的に間違ってるよこれ」ってのがある。中にはそれを意図的にやらかしているのもある。要は「分かりやすいから正しいのだろう」という錯誤を誘導し、自分の意図する方向に従わせる的な......まあ、プロパガンダみたいなもの。
そして人は往々にして、自分にとって心地よい、耳触りの良い話に傾注しがち。それがそれなりの権威や理由付けがなされているように判断できる材料があれば、例え事実でも小難しい話より、間違っていても分かりやすく納得できてしかも嬉しい話を信じてしまうもの。「信じる者は救われる」的な。
この指摘で一番怖いのは、「専門家や企業、権力者」の仮面をかぶった「運動家・宗教家」の存在、あるいは専門家としての力を利用する運動家がいることを否定できないという事実。何度も指摘したけれど、政治的策動のために肩書を悪用する「専門家」がいることは否定できない。あるいは本当に当初は専門家だったのが、いつの間にか政治的策動のウェイトが大きくなってしまったもの。
これも以前触れたけど、専門家が思想を持つのは自由。でも、その思想に影響されて自分の専門分野で嘘をついたり誤魔化しをするようになったら、もう専門家としてはおしまい。それはもうただの害悪。例えるならばスポーツの技能を持つ人が、その技能で普段の生活において気に食わない他人に害を成したり、警察官がこん棒や拳銃で普段から他人を脅したりするようなものだからね。
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